銀輪日報

本と自転車旅とB級グルメ

自転車歴史探訪(桶狭間の戦いを理解する)

ニワカ自転車歴史探訪第三弾。オケハザマ・ドット・ネットで桶狭間の戦いをナナメ読みの自由研究。桶狭間古戦場保存会謹製の公式ガイドブック「桶狭間武将三路」なるものを発見。自転車歴史探訪にはもってこいの内容だ

 

ロンググラベルを楽しめる豊田を源流とする二級河川境川は、当時の尾張三河の国境だから境川なんだ!なんか神奈川県町田市から江ノ島に向かうゴキゲンなサイクリングロードがある湘南の境川と同じ名前なんだなふーん程度としか思っていなかったがそっちも武蔵・相模の国境なんだと。ぐぐってみると境川って全国にいっぱいあるじゃん。地名って面白いもんだなぁ

 

そういやJ2ゼルビア5位か、営業利益は1百万円。俺のヴェルディは12位、営業利益は▲512百万円で債務超過499百万円。中国恒大と同様風前の灯火。パワハラ永井監督の首が飛ぶ散々なシーズン。東京クラシックとか生意気なこといいやがってと格下と見下していたけどクラブ経営も成績も随分置いてけぼりになってしまった。トホホ。こいつが昇格すればサイクリング兼ねて長良川競技場ヴェルディの応援に馳せ参じようと思っていたJ3FC岐阜はざんねんながら6位、営業利益は12百万円、やりくり上手だなぁ

 

当時イマガワ・カルテル尾張三河国境の境川をこえ敵陣深くで鮮やかなパス回しで翻弄し、ノブナガのディフェンスラインは崩壊寸前。大高城・鳴海城の防衛線をイマガワ本隊に突破されると後は海抜ゼロメートル地帯をドリブルで切り込まれ万事休す。そのためノブナガ監督はDF5枚をこの地域に当てて丹下・善照寺・中島・鷲津・丸根の各砦でゾーンディフェンスを敷いて防戦一方の苦しい戦いを強いられていた

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Part1 尾張の半グレ集団、ノブナガ(27)地方予選で四苦八苦

 

1552年ノブナガは、19歳で名古屋を地盤とする地方ギャング団の弾正忠・ファミリーの跡目を継いだ。当時愛知県北部はオダ・ファミリーは、岩倉カルテルと清須カルテル、その幹部、因幡守、藤左衛門、弾正忠ファミリーのそれぞれの枝に分かれ一族で血で血を洗う抗争を繰り広げていた。

 

その本家筋である守護代、つまり県知事代理の清須織田彦五郎一家は、うっぜーノブナガはウツケだしチョロいぜ。と敵対。二年間の抗争を勝利し54年ノブナガは当時日本有数の都市、清須を占拠。地盤を移す。

 

次に出現した敵キャラは実の弟、織田信行君18歳。クルクルパーな振る舞いのDQNノブナガに対して、品行方正な学級委員タイプの信行君は、家臣の期待を一身に受け将来を嘱望され、だめ兄ちゃんノブナガと対立構造が深まっていった。56年兄弟喧嘩は深刻化し名古屋市北部で両者は激突。ノブナガチーム700人に対し信行くんは1700名の支持者を集めた。信行くんには後ノブナガの右腕となる戦上手の柴田勝家先輩(32)が味方していた。衆寡敵せずノブナガはジリ貧になるが奮戦しなんとか押し返し450人を殺害し勝利を得た。お母さんが泣いて兄弟なんだから、仲良く助け合いなさいと諭され仲直り。しかし信行くんは反抗的な態度を続け、58年暗殺された。享年21歳

 

一族の抗争は続く、岩倉を根城とする織田信賢さん(年齢不詳)はノブナガの義父、FC岐阜斎藤道三氏との親子喧嘩に勝利した斎藤義龍選手と手を組みノブナガに対抗し、信行君との抗争でも対立を深めるが1559年、包囲戦に根負け、追放されて県予選を敗退。ここでノブナガは京都へ出張、愛知県代表のお墨付きを嘆願するが、夢は叶えられなかった


Part2 パシリのイエヤス君17歳

 

今川義元の人質になるべく6歳で家を出るが、途中で拉致られ信長のお父さんの人質にされた。2年後、織田・今川カルテル間の人質交換され静岡にお引っ越し。

 

12歳で義元おじさんの姪と結婚。正式に今川ファミリーとなったもののパシリ扱い、愛知県東部の三河エリアの半グレ集団との抗争や、オダ・カルテルとの戦争に鉄砲玉として駆り出される。1560年5月18日、桶狭間の戦いの前日に、おじさんの義元から、「お前ちょっと夜食の差し入れに行ってこい」と最前線の大高城へ出張。無事に仕事をこなした。そのまま翌朝午前3時、8百メートル先のオダ・カルテルの傘下の丸根砦・鷲津砦へ攻撃開始。激闘の末両砦とも全滅させ、おじさんにいい報告ができるとホッと胸をなでおろした

 

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Part3 今川義元静岡県知事(42)

 

軍事・行政・外交にその手腕を発揮しファミリー最大の勢力圏を築き上げたやり手。a.k.a.「海道一の弓取り」。静岡県全域と愛知県東部という広大なマーケットを牛耳っていた。山梨・長野両県を抑える武田信玄知事。神奈川県の北条氏康知事とお互いの平和と利益を保証するためカルテルを結成しており、さらなる勢力拡大に向け愛知県北部を目指した。つうか、ノブナガの地元那古野城はもともと今川ファミリーのものじゃん

 

5月12日豊田スタジアム満員御礼の45000名の親衛隊を引き連れ静岡市を出発。目的は国境沿いの大高、鳴海城を支援し、伊勢湾の海上貿易利権の確保のための尾張攻略を目指し5月17日前線の沓掛城到着

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大勢を移動させるのは一大プロジェクト。5月17日イマガワ傘下アドベンチャーコンサルタンツ社瀬名氏俊社長は200名のシェルパを引き連れルート工作のため先発、目的地大高城までの中間地点の桶狭間山くらいでお昼のお弁当がいいねとキャンプ4を設営後、大高城へ先を急いだ

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現在の桶狭間山。左の木々の見える場所が古戦場公園、今川大本営は丘の中腹。キャンプ4は池の向こうに設営された

 


Part4 ディー・デェイ

運命の5月19日、県知事義元は午前8時に沓掛城を出発、初夏の青空のもと大物らしく神輿に担がれ威風堂々と行進開始。イエヤス君の戦勝報告に上機嫌。今日は戦闘なさそうだから移動日。たった12キロ移動と簡単なお仕事だからといってオマエラあんまり油断すんなよ

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BGMはもちろん巨匠ジョン・ウィリアムズ先生が自ら指揮棒を振るうインペリアル・マーチ。演奏は名門ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。これ以外ないよね。万事手抜かりなし


約8キロの道中。地元の支援者の表敬訪問を受けてゴキゲンな義元は、予定通り桶狭間でお弁当を広げ始めた。大高城まで残り4キロだからのんびり行こうぜ

 

前夜18日、ノブナガは義元が沓掛城到着や前線が危機にさらされているという報告を受けるがとりあえず知らんぷり。今動いても何もできん。パシリのイエヤスが攻めてきたという一報で飛び起き、景気づけに戦国時代のウィ・ウィル・ロック・ユー、格調高く味わい深いアンセム幸若舞「敦盛」で気合をいれて午前4時清須を出発。

 

8時に熱田神宮に集合し200人でお参りして神頼み。10時過ぎに最前線の善照寺砦到着して「さぁていっちょやりますか」と戦闘準備を整える。この頃にようやく2~3千人が集結。だいたいスカスカの味スタホームゲームに集う東京ヴェルディ親衛隊サポータの動員数。ま、そんなもんだろう

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とりあえず2000人を率いて中島砦を出発、現在はなんか民家の裏庭。こんなところに2000人も集まれるのか?とにかく午後一時過ぎ運よくゲリラ豪雨に見舞われ、ステルス行動で鎌ヶ谷の信長坂まで移動し息を潜めて攻撃の機会を待つ。雨が上がり、よっしゃーっ!と、奇襲攻撃開始。雨上がりの騒ぎで何が何だか分かっていない今川軍大本営は、喧嘩?とか思っていたらノブナガの奇襲攻撃であることを知る。あわてて応戦虚しく午後2時過ぎ今川義元は戦死!まさかの大将が討ち取られる前代未聞の出来事に今川軍は総崩れ

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レッズサポーターで満員御礼の埼玉スタジアムの隅っこに取ってつけたビジター席にヴェルディサポで応援にいって、自陣でボール回されまくって、どうせ今日も勝てないだろ?と前半終了。突然大雨が振ってきてやんだら、なんかしらねーけどまさかのレッズ監督レッドカードで一発退場!大混乱のうちに勝利を収めた感じだ

 

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Part5 アフターマス

 

戦後イエヤス君はイマガワ・ファミリーからの独立を宣言。翌1561年、ノブナガと和平条約である清洲同盟を締結。今川氏への敵対行動を開始、愛知県東部の足場を固め始めた。ノブナガは一族の抗争にあけくれようやく1565年に終止符を打ち愛知県北部の県代表を勝ち取り天下統一への駒を進めた

 

偉大な主を失ったイマガワ・ファミリーの求心力は衰え9年後ご子息の今川氏真さん(31)は最後の拠点、掛川城を明け渡し放浪の旅に出た。そして和歌・連歌・蹴鞠が得意な文化人ポジションで余生を過ごしボールコントロールの巧みさで身を立てていくというサッカー王国静岡の伝統的文化的基盤を築き上げた。1615年77歳で大往生を遂げなかなかのリア充ライフで人生を全うした

 

エピローグ

 

今川vs織田の確執に始まる地域紛争は形を変え現代まで続いている。2027年の開業を目指すリニア新幹線(285.6キロ)の静岡工区8.9キロの水処理の問題にイチャモンを付けて川勝静岡県知事は工事の中止を求めて4選を果たした。一方の河村たかし名古屋市長は、「リニア早くつくらしてちょーよ」と主張を続けるが自ら金メダルをかじってオウンゴールを献上、政治生命の危機を誘発し両者の緊張関係は今日も続いている

 

桶狭間の丘陵地帯をこえ、ピーカンの豊明市を沓掛城跡を目指した。地域的にはまだ尾張なんだが、実際走ってみるとなんとなく温暖な三河の雰囲気だなぁ。旧街道筋をふらふら進みながらこんな道を45000人も通れるのか?仮設トイレなんかないだろうし、いい迷惑だよな。憤慨する。朝飯抜きで途中優雅にブランチ。10時前にやってる店なんかなく、いつもどおり、すき家の混ぜのっけ朝食\350をいただく。味噌汁をすすりながら気づいた、体内に染み渡る旨さだ!水分・塩分補給に最適の日本の伝統的なスポーツドリンクじゃん。そういえばイエヤスくんの本拠地岡崎は八丁味噌が名産。そうか、徳川の天下統一の秘訣は味噌にあるんだという仮説を立てた。今後検証作業に入っていこう。

 

「腹が減っては戦はできぬ」というが、小牧・長久手の戦いは朝のお弁当広げていたら急襲されて大敗北するし、桶狭間の戦いも昼食後エスプレッソでシメながら雨上がりを待っていたところに突撃を食らって総大将まさかの戦死。途中で弁当を広げずランチを一時間遅らせて大高城まで行っていればゼッテー信長は大勝利を拾えなかっただろう。「早飯、早糞、芸のうち」を理解した自転車歴史探訪だった

 

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丹下砦跡、左手に五角形の観光案内が見える。そこ

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ハイブリッド・チタイチ

冬の定番、名古屋からメーテツで行けるアメリカ、知多フォルニア。夜明け前の急行にガタゴト揺られ河和に向かう。ピーカンの空にオレンジ色の光が溢れて気持ちのいい夜明けだ。摂氏6.6度、寒いけどサイクリングにはピッタリ。三河湾越しに雪化粧した御嶽山が朝日に輝く!わぉ、超エロいぜ!

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ゴキゲンな快走路を小一時間で三河国定公園羽豆岬着。篠島渥美半島がキラキラ輝いている。来てよかったわ。俺様専用羽豆神社をお参り、皆の健康と幸せを祈った。営業開始は700年頃、ふと当時の人達もやっぱ健康と幸せを願ったのだろうか?普遍的価値とはなんだろう?とないアタマ絞ってちょっと悩んだ。そしてそんなちっぽけな悩みは羽豆岬展望台から1080°のゼッケーを拝んでソッコー吹っ飛んだ。フェロモンを放ち続ける御嶽山iPhoneのデジタルズームでパチリ。ボケボケだけどありがたや

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イヤーすっかり大満足。あとどうでもいいや。ギヤは軽めにのんびり流す。伊勢湾側は伊吹おろしの冷たい北西風が吹きつける。まぁ、よゆー。海の向こうの鈴鹿山脈が今度遊びに来いよと俺を呼んでいる。不沈空母セントレア中部国際空港鳴かず飛ばず、俺と一緒。閑古鳥すら泣いていない。なんか潰れそうだし沖縄の普天間基地から米空軍を誘致したほうがいいんじゃないか?

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ずっと同じような景色に飽きてきたところで急ハンドルきってバックカントリーへ向かう。チタイチはオン・オフハイブリッドのルーティングできるところが飽きないかつステキだ。一粒で2度美味しいってヤツ。MTB乗りにとってはよゆーのダブルトラックダート。老舗マリンバイククロスバイクはリジッドMTBと同じじゃん?ヒャッホウ!と調子に乗って谷戸地形を横断するトレイルをかっ飛ばす。あっちゅう間にゴール。サクッとズルして輪行で帰還。年末の定番ルート化決定

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旅のアルバム

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愛岐トンネル秋の特別公開

ピーカンの冬の空、登録有形文化財の愛岐トンネル群を目指す。チャリにはいい季節になってきたぜ。10時前に定光寺駅についてみるとえらい人だかりだ!入場まで300mの長い列に並び45分もかかる地域の大人気アトラクションだ。再訪するならばゼッテー平日だな

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その営業期間は1900~1966年まで廃線後は放置されカンペキに忘れ去られた。2005年になって地元のおじいちゃんがそういや昔レンガ造りのトンネルあったよね。はてどこじゃったかのう?という一声に有志による探索活動が始まり半年かけてようやく発見されたというにわかに信じがたい話、ホント現代日本なのか?。廃線になったのはたった55年前だけど、こういうことあるんだね

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40年完全放置で半分自然に帰りつつあり、あちこちに雑木が成長している。これもこのトンネルの歴史だとあえてそのままで残すところがステキ。線路は撤去されているがバラストの道床だけが残る。ニワカ鉄ヲタ視点ではあまり見るべきものはないなぁ。まぁ、紅葉x廃線と特別公開という希少性がウリかな

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合わせて1895年に開通しまさかのたった一年の供用で終わってしまった有料道路の玉野古道も楽しめる

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これが有料道路の玉野古道

パンフレットによると日本三大廃線トンネル群は、碓氷峠トンネル(2013年攻略済み)、北陸線トンネル(2021年攻略)、そしてここ愛岐トンネルだと。図らずもこれでミッションコンプリート。まぁ、愛岐トンネルが箔つけようと主張している感じがするけど、こういうのは応援したいね

思わずして三大廃線トンネル群を制覇した自転車乗りとしては①北陸線トンネル、ずばりチャリで通れて楽しい!②碓氷峠トンネル、チャリは押しだけど一度は行きたいヒルクライム碓氷峠を楽しめる。という順番かな③愛岐トンネルは春と秋の特別公開に絞って観光資源としてプレミアム感の演出をつづけたほうが地元に落ちるお金が稼げそうだね

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碓氷峠ツーリングの写真残ってたよ。グーグルフォトって便利だなぁ

帰りしな、青空をバックに真っ白に冠雪した御嶽山が映える。美しいなぁ。久しぶりに鉄分補給できて気分良く素晴らしい晩秋の週末でございました。

 

旅のアルバム

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自転車歴史探訪(小牧・長久手の戦いを理解する)

新シリーズ第2弾。先月の関ヶ原の古戦場訪問で歴史探訪に目覚めたニワカ。寒いのでネットフリックス見ながら引きこもってようかと思ったけど急に晴れてきたので普段着にスニーカーでゆる~くポンコツクロスバイクでお出かけ

 

香流川沿いにフラフラ長久手古戦場を目指す。いつの間にかもう冬だなぁ。いい天気だけどさみい。オサレな新築一戸建てがならぶニュータウンにひっそりと古戦場公園はあった。ちょっと丘になっていて、池田恒興氏が銃撃を受け戦死した場所と言われる勝入塚がひっそりと残る。兵どもが夢の跡に紅葉が美しい

 

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その一角にある長久手市郷土資料館を訪ねた。史跡めぐり用の無料貸出ママチャリが並ぶ。チャリと史跡めぐりは相性がいいんだな。そして例によって俺様専用の資料館をじっくり見学しきれいにカラー印刷された「長久手合戦史跡めぐり」というパンフレットを頂いた

 

そして聞いたことはあるけどなんだかよくわかんねえ小牧・長久手の戦い。たしか歴史の教科書に太字でテストに出る重要ワードくらいだったかなぁ。という記憶と理解しかないニワカだがネットフリックスオリジナルドラマシリーズ、メキシコの麻薬王、エル・チャポ(スペイン語で、「ちび」少しひどいな)の物語に当てはめるとスッと頭に入ってくることがわかった

 

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...日々ドンパチが続く全国抗争を一歩抜け出し近畿という当時の重要エリアを抑え市場を牛耳っていたオダ・カルテルのボス、信長は1582年、右腕のミツヒデによる裏切りで長男もろとも消された。当時岡山出張中のエル・モノ(スペイン語で「猿」)すなわち秀吉は、猛ダッシュ中国大返しをキメ、山崎の戦いで仇討ちに成功。ミツヒデの単独犯として事件は処理された。ケネディ暗殺がオズワルドの単独犯という連邦捜査局の公式見解と同じようにケツモチの黒幕は笑いが止まらない

 

組織の後継者を決める清州会議で秀吉は主導権を握り旧カルテルの幹部の中でも頭角を現し始めた。エル・モノの目論見通りノブナガファミリーの跡目は、孫の三法師ちゃん(当時3歳!)が引き継ぐこととなった。翌1983年ライバル組織のシバタ・カルテル賤ヶ岳の戦いで壊滅させた。柴田勝家と組んでサルを消そうとした三男の織田信孝君はやむなく降伏、組織の最高幹部を狙うサルはアヤを付けて信孝君の縄張りの岐阜を追い出し自殺に追い込みライバルを一人消す。享年24歳。

 

柴田との抗争ではサルに味方していた次男の織田信雄アニイはこの事態にやっべ、サルをのさばらしとくと俺も消される。オヤジの長年の盟友、家康の旦那とつるむしかないと鞍替え。やったろーやないけ?と1984年3月サルに宣戦布告し喧嘩を売る。秀吉は、織田信雄のシマ愛知県北部にカチコミをかけるが、家康のダンナも出張ってきてくれて小牧山城で引きこもりにらみ合いが続き抗争は膠着状態に陥った

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旧ノブナガ・カルテルの幹部の一人、池田恒興組長は秀吉に、根城の岡崎をカチコめば家康のタマぁ取るの簡単ですわ。と4月6日深夜2万人の郎党引き連れ出撃、途上にある岩崎城をサクッと攻略、留守番の丹羽氏重君16歳は守備兵200人とともに全滅。「だろ?俺の行ったとおりじゃん」とよゆーかましていたら、最後尾で朝のお弁当を広げていた秀吉の甥の三好信吉(後の豊臣秀次)君17歳が家康ファミリーの急襲を受けて大敗北。何やってんだよ糞ボンボンが!と池田のオヤジは救援のため踵を返し長久手古戦場で両軍は激突、池田の親子はあえなくタマぁとられてしまい織田・徳川連合の大勝利におわる

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その後全国で散発的に小さな抗争が続くが、11月になって織田信雄君がはいたつばを飲み込み突然イモ引いて秀吉と手打ち。家康のオヤジも大義名分を失い講和に応じる。翌年秀吉はやんごとなき筋に働きかけ関白に就任。ノブナガ・カルテルの跡目を継ぎ組織のボスの地位を固めた。この一連の抗争で大いに名を挙げた家康はトヨトミ・カルテルの大幹部として睨みをきかせながら時節を待つこととなった。そして12月、日本山岳史の偉業サラサラ越え、富山県を抑える戦国のアルピニスト佐々成政さんが厳冬期の北アルプス立山黒部アルペンルート?)を越えて浜松まで赴き家康に面会し抗争の継続を訴えた...

 

BGMは気分と演出に合わせて、「ゴッドファーザー愛のテーマ」か、エッジの効いたギターリフが特徴的な「仁義なき戦い」のテーマソングのどちらかをオススメしたい

 

 

 

チャリ漕いでいればなんとなくあそこだなって見当がついた家康が陣を張ったという標高86メートルの御旗山登頂。街乗りポンコツクロスバイクでの自転車歴史探訪なかなかいいなと思いながら香流川サイクリングロードで家路につく、帰りしな近所のスーパーでペットボトル入りの赤ワインとお得パックのナッツ類を購入、シナモンシュガーぶち込みホットワインにして頂いてきたパンフレットをじっくり読み込みながら幸せな午後を過ごした

 

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来年も古戦場巡りを続け脚本にまとめタランティーノ監督に売り込みに行こうっと

 

 

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ラリチャレ豊田(211107)

WRCが2年連続中止で鬱。なんかラリチャレっつう競技が鞍ヶ池公園で開催だと。ラリー・チャレンジ、車好きが愛車で参加、ご夫婦や友人、親子や職場の仲間で参加する草レース、とりあえず行くしかねえな

 

レンタカーを借りて豊田勘八グラウンドからバスに乗って鞍ヶ池公園へ。若干めんどくさい。思ったより混んでいて人がわんさか。無料なのはありがたいが落ち着いて観戦できるポイントはなかった。トヨタ車のワンメイクレースで、ヤリス、ハチロクトヨタ車というカテゴリーのようだ。ハチロクよりヤリスのほうがタイムがいいんだな

 

どのポイントに行っても3~5秒位しか見れないし観戦場所がコースから遠すぎて迫力なし、YouTubeでみるようなコースギリギリ若干はみ出しながら応援とか、ひっくり返ったらみんなで助けるとかそういう雰囲気は全くなく安全・安心を追求する豊田らしいお利口さんなイベント。しかたないよね。小一時間で退却、帰り道リエゾン区間を走ってきた競技車両に手を振って応援が一番身近な感じがした

 

こういうのは見るよりも出るスポーツだな。もしくはTVかYouTube観戦だ

 

なんとなくD1GP行きたくなった。でももうお台場開催していないのか。ストリート感あふれる競技が良いのになぁ。僕はSteamのセールで買ったGRIDで楽しもう

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お伊勢参り&パールロード・シーサイドライン

随分温めておいた一生に一度はお伊勢参りライド。ニッポンの聖地巡礼。AM3:30に目覚ましをセット、AM3:28に目が覚める。俺の体内時計は正確だなぁ、どういう仕組なんだろう?

 

満月の夜空を愛でながらメーエキまで猛ダッシュ。さみい。覚王山山岳ステージから桜通りをかけるける。新聞配達くらいしかいなくてチョー快適。いいな。ミッドナイトに輝く錦の歓楽街はちょっとにぎやかで思わずチャリで一周してしまった。飲み明かし喧嘩してポリス呼んだ若い衆とか元気やのう。高級車とかタクシーとかがならびなかなか景気が良さそうだ

 

名古屋駅はJR、名鉄近鉄バラバラでカッペの俺は迷う。あれ?今度新宿駅行ったら遭難しそう。なんとか初の近鉄線に乗り込み伊勢市へ。1時間40分の電車旅だが直通で行ける。車両はロングシート輪行には不向きだけど、空いているのでまぁ息を殺してやり過ごせた

 

雲ひとつないそらに光があふれ夜明けを迎える。田園地帯を駆け抜ける近鉄急行の車窓から見慣れない稜線が浮かぶ。うぉー、いい感じじゃん。なんか雰囲気は関東のリゾート鉄道小田急

 

7時過ぎ伊勢市駅到着、お作法通り、伊勢神宮外宮から憧れの伊勢参りだ。土曜の朝早くから結構な観光客がいる。おまえら前泊?気持ちの良い森の中の参道を歩きメインコンテンツの1500年の歴史を持つという豊受大神宮へ。といっても壁に囲まれ、一般参拝客のアクセスは第一の門の先にある第二の門まで。まったく見えね。なんか、白いカーテンの前でお賽銭投げ込みお辞儀するだけ。正直ありがたみがねえなぁ。とりあえず周りの空気を読んで土宮、多賀宮、風宮の別宮3点セットもお参りしてありがたく手を合わせて皆の健康と幸せを願っておいた

 

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他になにもないしとりあえず次、5キロ先の本宮へ。チャリだとヨユー。途中猿田彦神社なるもの発見、よってみる。ガラス張りの本殿に神主?と巫女さんがなにか儀式しているのがみえるオープンな経営姿勢。こっちのほうがなんか有り難みがあるぞ

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本宮の前は門前町が形成されなかなか素敵な町並みだ。ま、でも買いたいものないし、買っても邪魔だし華麗にスルー。そして本宮でもまたカーテンにむかって手を合わせた。一般人はお呼びでないという敷居が高い雰囲気を感じて、正直イマイチ。なぜ人気の観光ルートなんだろ?観光コンテンツとしては鶴岡八幡宮のほうが映えるし有難みあるし街の雰囲気も全然いいじゃん。有事の際は鎌倉街道だな

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ま、一生に一度のお伊勢参りのミッションコンプリートしお楽しみサイクリングだ。ちょっと裏道を抜け鳥羽の街へ。これ伊豆だわ。南国リゾート街道。パールロードシーサイドラインリアス式海岸の起伏に富んだルーティングがまぁいい感じ。信号なく爽快ワインディングロードだ。

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立ち寄った鳥羽展望台からの眺めはサイコー。案内板を読むと空気の澄んだ朝はマウントフジが拝め初日の出スポットだとのこと。ここはいい。こういう南国リゾート街道でありがちなスーパーカー集団とすれ違った。フェラーリ3台。すげえな。一台4500万円だと見積もると俺の収入15年分。この3台で俺の一生分か。もたざるものは人生や人物の価値を収入や持ち物の値段に置き換えちゃだめだな。鬱になるだけ。とにかく次の選挙の比例代表にはベトナム共産党に無力な一票を投じておこうっと

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23.8キロのパールロードが終わるとやたら志摩スペイン村の案内が出てくる。気になって的矢湾展望台で休憩中にググってみたけど入場料5400円か。ちょっと無理。検索候補に、なぜ潰れないとか、つまらないとかろくでもない言葉が出てくるぞ。どっちにしてもパスだ。

 

今日のライドグルメは、事前に調べておいたおかやま食堂。ルート沿いにあるからという理由で選定。老夫婦が切り盛りする地元のいたって普通の食堂。壁に貼られたお品書きを眺め、看板メニューであろう復活日本一?特大エビフライ定食1760円。とにかくでかい!!を発見、たけえなぁと他のメニューも見てみるが唐揚げ定食が1100円と基本的にお高いお店だ。とはいえお客さんは作業員のおっちゃんグループなので庶民の食堂なんだろう。まぁいいやと注文して待ちながら雑談を聞いているとおぉ、関西弁だ

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20cmはある特大エビフライが3本ついてくる定食を若干うえっとなりながら完食。たしかにデカイ。お腹いっぱい過ぎてやる気なくなった。シメのおヒヤをいただきながらどうすんべ?と悩む。PlanAアングラ雑誌でいつもでてくる売春島渡鹿野島探索。ただし現在は廃墟っぽくて観光地としては何も見どころはないようだ。PlanB天王崎灯台とともやま公園の定番スポット、ただ似たような景色の連続に飽きてきた。そのまま帰るのもなんかもったいないし、とりあえずPlanB。本来AとBは逆の感じがするが、飛んで火に入る夏の虫タイプの俺にはこの順番でいいのだ

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有形登録文化財、恋する灯台の大王崎灯台は一見の価値があった。なかなかステキ。営業開始は1927年のなかなかの頑張りやさん。併設された大王崎灯台ラボは閑古鳥がないており俺様専用、ニッチなテーマでなかなかおもろいなぁ。全国には700の灯台があるが登れるのは15のみ。これを全部制覇するもの楽しそうだ。いいこと知ったよ

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ともやま公園の展望台からは英虞(あご)湾が見渡せる。今日は散々見てきて若干飽きてきたが、シメにはいい感じの観光スポットだ。近鉄志摩線志摩神明駅から輪行。運賃2020円もすんのか。ま、しゃーない。車内アナウンスで1日乗車券1500円っての売っていると。さきに言ってくれよ。ただし事前予約が必要なので天候に左右されるチャリダーにはビミョー。これも前売り限定だが3月まで近鉄区間3日間乗り放題3000円というのがあってこれいいな。奈良・大阪・和歌山攻略を真剣に考えよう。近鉄志摩線はなんか撮り鉄がいっぱいいた

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3時間の電車旅を終え、イルミネーション輝くメーエキでチャリを組み立てながら聞こえてくる人々の言葉が尾張言葉?に戻った。方言ってステキだなぁ。言葉が違うって旅してる感があるよね。メチャ混みのメーエキ周辺を突破して名古屋走りの交通をすり抜けながら今日のライドを振り返った。朝見た満月にふたたびこんばんわ。サイコーのシメだ

 

旅のアルバム

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