銀輪日報

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自転車歴史探訪(桶狭間の戦いを理解する)

ニワカ自転車歴史探訪第三弾。オケハザマ・ドット・ネットで桶狭間の戦いをナナメ読みの自由研究。桶狭間古戦場保存会謹製の公式ガイドブック「桶狭間武将三路」なるものを発見。自転車歴史探訪にはもってこいの内容だ

 

ロンググラベルを楽しめる豊田を源流とする二級河川境川は、当時の尾張三河の国境だから境川なんだ!なんか神奈川県町田市から江ノ島に向かうゴキゲンなサイクリングロードがある湘南の境川と同じ名前なんだなふーん程度としか思っていなかったがそっちも武蔵・相模の国境なんだと。ぐぐってみると境川って全国にいっぱいあるじゃん。地名って面白いもんだなぁ

 

そういやJ2ゼルビア5位か、営業利益は1百万円。俺のヴェルディは12位、営業利益は▲512百万円で債務超過499百万円。中国恒大と同様風前の灯火。パワハラ永井監督の首が飛ぶ散々なシーズン。東京クラシックとか生意気なこといいやがってと格下と見下していたけどクラブ経営も成績も随分置いてけぼりになってしまった。トホホ。こいつが昇格すればサイクリング兼ねて長良川競技場ヴェルディの応援に馳せ参じようと思っていたJ3FC岐阜はざんねんながら6位、営業利益は12百万円、やりくり上手だなぁ

 

当時イマガワ・カルテル尾張三河国境の境川をこえ敵陣深くで鮮やかなパス回しで翻弄し、ノブナガのディフェンスラインは崩壊寸前。大高城・鳴海城の防衛線をイマガワ本隊に突破されると後は海抜ゼロメートル地帯をドリブルで切り込まれ万事休す。そのためノブナガ監督はDF5枚をこの地域に当てて丹下・善照寺・中島・鷲津・丸根の各砦でゾーンディフェンスを敷いて防戦一方の苦しい戦いを強いられていた

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Part1 尾張の半グレ集団、ノブナガ(27)地方予選で四苦八苦

 

1552年ノブナガは、19歳で名古屋を地盤とする地方ギャング団の弾正忠・ファミリーの跡目を継いだ。当時愛知県北部はオダ・ファミリーは、岩倉カルテルと清須カルテル、その幹部、因幡守、藤左衛門、弾正忠ファミリーのそれぞれの枝に分かれ一族で血で血を洗う抗争を繰り広げていた。

 

その本家筋である守護代、つまり県知事代理の清須織田彦五郎一家は、うっぜーノブナガはウツケだしチョロいぜ。と敵対。二年間の抗争を勝利し54年ノブナガは当時日本有数の都市、清須を占拠。地盤を移す。

 

次に出現した敵キャラは実の弟、織田信行君18歳。クルクルパーな振る舞いのDQNノブナガに対して、品行方正な学級委員タイプの信行君は、家臣の期待を一身に受け将来を嘱望され、だめ兄ちゃんノブナガと対立構造が深まっていった。56年兄弟喧嘩は深刻化し名古屋市北部で両者は激突。ノブナガチーム700人に対し信行くんは1700名の支持者を集めた。信行くんには後ノブナガの右腕となる戦上手の柴田勝家先輩(32)が味方していた。衆寡敵せずノブナガはジリ貧になるが奮戦しなんとか押し返し450人を殺害し勝利を得た。お母さんが泣いて兄弟なんだから、仲良く助け合いなさいと諭され仲直り。しかし信行くんは反抗的な態度を続け、58年暗殺された。享年21歳

 

一族の抗争は続く、岩倉を根城とする織田信賢さん(年齢不詳)はノブナガの義父、FC岐阜斎藤道三氏との親子喧嘩に勝利した斎藤義龍選手と手を組みノブナガに対抗し、信行君との抗争でも対立を深めるが1559年、包囲戦に根負け、追放されて県予選を敗退。ここでノブナガは京都へ出張、愛知県代表のお墨付きを嘆願するが、夢は叶えられなかった


Part2 パシリのイエヤス君17歳

 

今川義元の人質になるべく6歳で家を出るが、途中で拉致られ信長のお父さんの人質にされた。2年後、織田・今川カルテル間の人質交換され静岡にお引っ越し。

 

12歳で義元おじさんの姪と結婚。正式に今川ファミリーとなったもののパシリ扱い、愛知県東部の三河エリアの半グレ集団との抗争や、オダ・カルテルとの戦争に鉄砲玉として駆り出される。1560年5月18日、桶狭間の戦いの前日に、おじさんの義元から、「お前ちょっと夜食の差し入れに行ってこい」と最前線の大高城へ出張。無事に仕事をこなした。そのまま翌朝午前3時、8百メートル先のオダ・カルテルの傘下の丸根砦・鷲津砦へ攻撃開始。激闘の末両砦とも全滅させ、おじさんにいい報告ができるとホッと胸をなでおろした

 

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Part3 今川義元静岡県知事(42)

 

軍事・行政・外交にその手腕を発揮しファミリー最大の勢力圏を築き上げたやり手。a.k.a.「海道一の弓取り」。静岡県全域と愛知県東部という広大なマーケットを牛耳っていた。山梨・長野両県を抑える武田信玄知事。神奈川県の北条氏康知事とお互いの平和と利益を保証するためカルテルを結成しており、さらなる勢力拡大に向け愛知県北部を目指した。つうか、ノブナガの地元那古野城はもともと今川ファミリーのものじゃん

 

5月12日豊田スタジアム満員御礼の45000名の親衛隊を引き連れ静岡市を出発。目的は国境沿いの大高、鳴海城を支援し、伊勢湾の海上貿易利権の確保のための尾張攻略を目指し5月17日前線の沓掛城到着

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大勢を移動させるのは一大プロジェクト。5月17日イマガワ傘下アドベンチャーコンサルタンツ社瀬名氏俊社長は200名のシェルパを引き連れルート工作のため先発、目的地大高城までの中間地点の桶狭間山くらいでお昼のお弁当がいいねとキャンプ4を設営後、大高城へ先を急いだ

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現在の桶狭間山。左の木々の見える場所が古戦場公園、今川大本営は丘の中腹。キャンプ4は池の向こうに設営された

 


Part4 ディー・デェイ

運命の5月19日、県知事義元は午前8時に沓掛城を出発、初夏の青空のもと大物らしく神輿に担がれ威風堂々と行進開始。イエヤス君の戦勝報告に上機嫌。今日は戦闘なさそうだから移動日。たった12キロ移動と簡単なお仕事だからといってオマエラあんまり油断すんなよ

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BGMはもちろん巨匠ジョン・ウィリアムズ先生が自ら指揮棒を振るうインペリアル・マーチ。演奏は名門ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。これ以外ないよね。万事手抜かりなし


約8キロの道中。地元の支援者の表敬訪問を受けてゴキゲンな義元は、予定通り桶狭間でお弁当を広げ始めた。大高城まで残り4キロだからのんびり行こうぜ

 

前夜18日、ノブナガは義元が沓掛城到着や前線が危機にさらされているという報告を受けるがとりあえず知らんぷり。今動いても何もできん。パシリのイエヤスが攻めてきたという一報で飛び起き、景気づけに戦国時代のウィ・ウィル・ロック・ユー、格調高く味わい深いアンセム幸若舞「敦盛」で気合をいれて午前4時清須を出発。

 

8時に熱田神宮に集合し200人でお参りして神頼み。10時過ぎに最前線の善照寺砦到着して「さぁていっちょやりますか」と戦闘準備を整える。この頃にようやく2~3千人が集結。だいたいスカスカの味スタホームゲームに集う東京ヴェルディ親衛隊サポータの動員数。ま、そんなもんだろう

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とりあえず2000人を率いて中島砦を出発、現在はなんか民家の裏庭。こんなところに2000人も集まれるのか?とにかく午後一時過ぎ運よくゲリラ豪雨に見舞われ、ステルス行動で鎌ヶ谷の信長坂まで移動し息を潜めて攻撃の機会を待つ。雨が上がり、よっしゃーっ!と、奇襲攻撃開始。雨上がりの騒ぎで何が何だか分かっていない今川軍大本営は、喧嘩?とか思っていたらノブナガの奇襲攻撃であることを知る。あわてて応戦虚しく午後2時過ぎ今川義元は戦死!まさかの大将が討ち取られる前代未聞の出来事に今川軍は総崩れ

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レッズサポーターで満員御礼の埼玉スタジアムの隅っこに取ってつけたビジター席にヴェルディサポで応援にいって、自陣でボール回されまくって、どうせ今日も勝てないだろ?と前半終了。突然大雨が振ってきてやんだら、なんかしらねーけどまさかのレッズ監督レッドカードで一発退場!大混乱のうちに勝利を収めた感じだ

 

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Part5 アフターマス

 

戦後イエヤス君はイマガワ・ファミリーからの独立を宣言。翌1561年、ノブナガと和平条約である清洲同盟を締結。今川氏への敵対行動を開始、愛知県東部の足場を固め始めた。ノブナガは一族の抗争にあけくれようやく1565年に終止符を打ち愛知県北部の県代表を勝ち取り天下統一への駒を進めた

 

偉大な主を失ったイマガワ・ファミリーの求心力は衰え9年後ご子息の今川氏真さん(31)は最後の拠点、掛川城を明け渡し放浪の旅に出た。そして和歌・連歌・蹴鞠が得意な文化人ポジションで余生を過ごしボールコントロールの巧みさで身を立てていくというサッカー王国静岡の伝統的文化的基盤を築き上げた。1615年77歳で大往生を遂げなかなかのリア充ライフで人生を全うした

 

エピローグ

 

今川vs織田の確執に始まる地域紛争は形を変え現代まで続いている。2027年の開業を目指すリニア新幹線(285.6キロ)の静岡工区8.9キロの水処理の問題にイチャモンを付けて川勝静岡県知事は工事の中止を求めて4選を果たした。一方の河村たかし名古屋市長は、「リニア早くつくらしてちょーよ」と主張を続けるが自ら金メダルをかじってオウンゴールを献上、政治生命の危機を誘発し両者の緊張関係は今日も続いている

 

桶狭間の丘陵地帯をこえ、ピーカンの豊明市を沓掛城跡を目指した。地域的にはまだ尾張なんだが、実際走ってみるとなんとなく温暖な三河の雰囲気だなぁ。旧街道筋をふらふら進みながらこんな道を45000人も通れるのか?仮設トイレなんかないだろうし、いい迷惑だよな。憤慨する。朝飯抜きで途中優雅にブランチ。10時前にやってる店なんかなく、いつもどおり、すき家の混ぜのっけ朝食\350をいただく。味噌汁をすすりながら気づいた、体内に染み渡る旨さだ!水分・塩分補給に最適の日本の伝統的なスポーツドリンクじゃん。そういえばイエヤスくんの本拠地岡崎は八丁味噌が名産。そうか、徳川の天下統一の秘訣は味噌にあるんだという仮説を立てた。今後検証作業に入っていこう。

 

「腹が減っては戦はできぬ」というが、小牧・長久手の戦いは朝のお弁当広げていたら急襲されて大敗北するし、桶狭間の戦いも昼食後エスプレッソでシメながら雨上がりを待っていたところに突撃を食らって総大将まさかの戦死。途中で弁当を広げずランチを一時間遅らせて大高城まで行っていればゼッテー信長は大勝利を拾えなかっただろう。「早飯、早糞、芸のうち」を理解した自転車歴史探訪だった

 

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丹下砦跡、左手に五角形の観光案内が見える。そこ

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