銀輪日報

本と自転車旅とB級グルメ

JR東海ハイウェイバスルートで大阪→名古屋空中散歩

今日は朝から雨でございますので、インスタントコーヒ頂きながら先週のバス旅行を振り返りましたよ。出発は大阪の八尾空港の31滑走路から。

 

 

名所通天閣でございます。よくできとるわ

 

道頓堀のグリコの看板。MSFS2020のバニラのシーナリーでここまでやるか。さすがだなぁ

 

心斎橋の日航ホテル前の御堂筋でタッチアンドゴー。怒られるやつ


中之島辺りの大都会。ビビったよ

大阪駅コレか?

 

さようなら大阪。また来るよ。これが新大阪駅かな

 

名神高速道路沿いに山科を目指します。奥の丘陵が天王山でございますわ。イケイケの信長イワした明智光秀が、中国大返ししてきた豊臣秀吉と込み合うならここしかないというのがわかるよね。山崎の戦いってやつですわ

 

京都御所比叡山、山科、大津の街が見えてきましたよ。目の前には伊吹山も見えてますね

 

左に行くと名神高速道路、まっすぐ行くと新名神ですわ

甲南PA行きも帰りもここで休憩。名古屋まで一時間強かな

 

新名神はまっすぐ、右手に行くのが鈴鹿峠ですね

 

鈴鹿山脈に養老山地、伊吹山能郷白山、白山、乗鞍、御嶽山、恵那山勢ぞろいですわ。ここまでくると帰ってきた~って安心できる風景ですね

 

メー駅に挨拶に行く

 

名古屋人ならテレビ塔とメージョーは欠かせまわんわな

 

 

いや~。住めば都ですなぁ

 

住んでるボロアパート上空から視察して

 

県営名古屋空港34滑走路へ着陸

 

エンジン切って、電源落として、今朝はお疲れ。1時間強の空中散歩でございました

 

とんぼりウォーク(ラン)

久しぶりのモーニングラン。ランニングウォッチがGPSを掴まず計測は諦めた 御堂筋を南下、アメ村、道頓堀から堺筋を北上し戻るざっくり5キロくらい?

 

 

きれいに方格設計された市中心部のビジネス街は公園がない無味乾燥な コンクリートジャングルだ。さすが大都会だがおノボリが観光ランをするところではない とりあえず見つけた難波神社へお参りしておいた

 

 

アメ村では、朝はようから完徹の若い衆がポリ公とモメている。狭い路地にタバコの 匂いと散らかったゴミ。整然とした街並みより生活感があっていい感じ、こういうほうが 好きだわ。俺様専用の細い路地をフットワーク軽く駆け抜けた

 

道頓堀川沿いの遊歩道とんぼりウォークをのんびり散策する。夜のほうが絵になるね

 

 

日本橋を発見したがとくに道路元標があるわけでもなく普通の橋だった 午前中に無事用事をすませ大阪駅のガード下の大阪で一番カンパイが似合う 街新梅田食道街でデラックス玉子お好み焼きと奮発して昼間っからスーパードライ生2杯を いただきいい気分でスカスカのJR東海バスで名古屋へ。初めての長距離バス旅行だが3時間位 だったらバスがいいね。新幹線と比べ料金は半額だし乗り換えの必要なく悪くないよね。 予約時に座席の指定ができるけど運次第で隣に知らん人が座った瞬間窮屈な旅になりそうだ。 輪行できないのでよほどのことがないと使わないだろうけど意外といい選択肢だ ルートは新名神で先月行った鈴鹿経由だ。素敵な山並みを眺めながらあっ、シェアサイクルを 忘れてた。今度自転車を持たない旅行で試してみてみよう。それがだめならラン。これで行こう。 レイルxバイク、バスxシェアサイクル、バスx観光ラン。お楽しみの選択肢が増えてきたぜ

 

 

宮内庁御用達三州八丁味噌カクキューを味わう

24節気では立夏。夏でございます。初夏の爽やかな陽気に誘われやっぱりチャリンコ。これしかやることはない。当面の休日の行動規範を「本と自転車旅と音楽、そしてときどきB級グルメ」と再定義しているのでまぁ問題ない。必要なのは答えではなく、探究心だ(byディスカバリーチャンネル

 

 

新しい季節を迎えるに当たりおニューのタイヤに履き替えたばかりだ。定番のシュワルベ・マラソン。42-622から37-622へタイヤ幅が5mm細いやつ。お試しかねて軽く行きたい。やっぱ新しいやつはいいわ。コンパウンドが柔らかく、乗り心地とグリップが良くなった。あとタイヤ細くしたおかげでギア半枚分軽くなった感じがするよ。プラシーボ効果バツグンだね

 

 

とりあえず深く考えずに行きたいトコリストに入っていたトヨタ会館とその先の岡崎を目指してみよう。これまた新規投資したホイールバッグをバックパックにぶち込み片道輪行モードで気分が楽ちん。名古屋~豊田間のルート最適化が完了しておらず今日もルート工作だ。上社(かみやしろ)ジャンクションから東名高速の脇道ルートを試してみたがイマイチ。信号少なめでいいのだがアップダウンが激しくダルい。その後直感に頼ってみたが結局交通量の多い幹線道路での移動となった。平野部の都市間移動はツマランなぁ。川沿いか旧街道沿いがいいんだけどないんだよね。正確に言うと飯田街道があるんだが交通量多いわりに路側帯の殆ど無い2車線なのでダメ。まぁいいいや

 

 

結局前と同じ、2時間、30キロを走り抜けて到着したバカでかい本社施設にあるトヨタ会館は休みだった。あちゃー。ま、でもまた来れるからいいや。と次へ進む。矢作川沿いに岡崎までの田舎道、のんびりしてていいなぁ。こういうの。

 

 

 

オレの薄っぺらな岡崎の知識は徳川家康さんの本拠地ということと味噌が有名であるということだけだ。折角だから味噌の本場でご当地グルメを味わいたいとググってみると「元祖三河味噌ラーメンおかざき商店総本店」なるものを発見。ここでランチにした。折角だからラーメンごときに1210円もするけど八丁味噌ベース初代味噌ごちそう味噌ラーメンを注文した。普段味噌ラーメンって食べないからイメージが味噌汁ラーメンだったけど提供されたラーメンは結構いい感じだわ。スープが濃厚でウマー!チャーシュー、味玉、メンマ、もやしとキャベツの炒めもの、のり、ネギとスープが良く絡みつく太麺。いやー、普段食べないものの美味しさを知るって幸せなことだ

 

 

岡崎天満宮へふらふら自転車を漕ぐ、特徴がいまいち整理できていないがなんか街並みや雰囲気が城下町って感じがするよ。岡崎天満宮は営業開始1690年と新しめ、定番の牛の頭をなで公式参拝を済ませた。そしてピースの二乗のアイツの前で記念写真。ググってみたけどなんかのキャラクターか?岡崎市は観光スポットの一つとして売り出したいようだけど交番の横にポツンとおいてあるだけでイマイチバエねえ。白い石像の後ろに交番の白い壁。と電気メーターとか蛍光灯とかが映り込んでしまう。これ企画もしくは承認した人写真撮らないだろう?冴えない観光スポットってのもまた味があっていいなと結局写真を取ってしまった。なんか負けたよ

 

 

そんでもって岡崎公園へ、三河武士のやかた家康館によってみる。350円也。定番の動画解説、古文書、肖像画家系図、刀剣、鎧や火縄銃、鐙などの武具そしてパネル解説という安心のフォーマット。しかしイマドキ写真撮影禁止なので全部覚えきれないよ。関ケ原の戦いジオラマ解説が秀逸だが、今週実走してきたのばかりの神君伊賀越え思いっきりスルー!一ミリもかすってねえよ。実際伊賀の地元だからさぞかし大変だったように服部半蔵の活躍とともに説明していただけで家康の本拠地では思いっきりスルー。温度差が味わい深い。なんか戦国武将っておらが町の代表だから推すって感じでJリーグと同じということに気づいた

 

 

二の丸音楽堂で翌日本番の和太鼓の練習を見学させていただき、鉄筋コンクリート構造の立派な天守閣も訪問。眺望は小牧山城の圧勝。さて次イコとおもってたら、グレート家康武将隊っていうイベントが始まった。イケメン武将3人と、娘さんの4人のユニットで、徳川4天王とその娘さんといった役どころだ。ひとり足りないんじゃないの?と多分誰もが思ったけど皆大人だった。歌って踊ってトークのアイドル的な演出。なぜか娘さんがけん玉に挑戦、ガチで失敗してムキになっていてちょっとかわいい

 

 

そしていよいよ本日のメインイベント、めずらしく食がテーマだ。八丁味噌の老舗カクキューの工場見学。明治時代に造られた国の有形文化財の社屋や味噌蔵が資料館になっていて、味噌の製造工程とその栄光の歴史を解説してくれる

 

 

ブイブイ言わせた今川義元公のまさかの1560年桶狭間の戦いの敗戦にショックを受けた早川新六郎勝久は、今川軍を除隊、願照寺で味噌づくりを学ぶ。そしてその子孫が1645年八丁村で「八丁味噌」を創業。1901年には晴れて宮内庁御用達いわゆるロイヤルワラントをゲット!味噌の保存性が評価され登山隊や南極観測隊へも提供された。八丁味噌の材料は大豆と麹と塩だけ。添加物一切なしのヘルシー食品だ。大豆を蒸して麹と混ぜ合わせる、こいつを直径2メートルを超える杉桶にぶち込み、塩と水を投入。たるのフタに矢作川の石を3トン積み上げる。要は圧力鍋だね。そのまま二夏二冬じっくり天然醸造させ美味しいお味噌の出来上がりって寸法。手間暇時間はべつとして味噌って意外と簡単なんだね

 

 

工場見学の終わりに味噌汁をいただくコクが合ってウマー!そして味噌パウダーもいただいて解散。なんか買い物しないと悪いなって感じがするがチャリで来たからお土産持って帰るのはは厳しい、よって味噌ソフトクリーム400円也を購入してみた。小学生なら絶対こう言うだろうけど絵的にはうんこっぽいが、やんわり味噌フレーバーはするがキャラメルソース味?という感じで不思議な食感だ。まぁうまいけど、他の場所じゃ買わないな

 

岡崎駅についてささっと帰宅準備。ホイールバッグ購入のお陰で輪行が手軽になった。バラしたり組み立てる作業がわずか5分程度。これ楽だわ。意外と近くて名古屋まで45分。ポンコツクロスバイクでお手がる輪行ラクショー。これぞ持続可能なエコツーリズム、実は最先端のアクティビティなんだなぁ。と家に帰ってシャワーをささっと浴びて夕暮れの心地よい風に吹かれながら低所得者向けの節税ビールを飲みながら考えているうちにウトウトしてしまった

 

 

 

恵那SSダート区間

「○○重工で宇宙ロケット開発に従事してきた天才エンジニアのオレに言わせると一期一会って言葉はヤリ逃げっていう意味なんだな」とその老紳士はわっはっはと豪快に笑った。今日はめずらしく外交的に辛抱強くバカ話の相手をしていたが「いい加減にせい」と思わずローリングソバットをキメてマットに沈めた。なかなかタイミングをはかりかねていたが「じぁあ、そろそろ出発します。良い一日を!」と老紳士に挨拶し、たまたま始発で名古屋から乗り合わせたグラベルリンコー青年にも「お気をつけて、また。失礼します!」とペダルを踏み込み見知らぬ者通しの世間話としては若干冗長になりかけていた恵那駅の駅前トークにくぎりをつけた。リンコーチャリダーにとって駅前トークも必須のスキルだ。とにかく三者三様それぞれの目的地に向けて動き出した。色気もクソもあったもんじゃないがたまにはこういう一期一会があってもいい。楽しい日になりそうだ

 

リエゾン区間を面舵いっぱいでトレイルへ向けて針路を合わせた。初見ルートだが首尾よくトレイルヘッドを発見。お楽しみのダート走行開始!ピーカンの五月晴れに爽やかな風が吹き抜けていく。里山は新緑に萌え、羽織ってきた英軍熱帯用戦闘服のDPM迷彩がよく溶け込んでいる。茂みをごそごそ動き回って地元の猟友会のメンバーに熊に間違えられて射殺されないよう気をつけないとな。難所上等のマウンテンバイカーのDNAが励起され血が煮えたぎってきた。ひゃっほー!と5月の里山トレイルを駆け抜ける。昨日の雨のせいか濡れ濡れでガバガバのルーズトラック。僕は繊細な指使いでブレーキタッチ、五感を研ぎ澄まし最大摩擦係数ギッリギリのところでトラクションコントロールのテクニックを駆使してオイタすることなくノーナイ麻薬ドッバドバでちょうご機嫌。いやー気持ちE!

 

スペシャルステージのスペックは以下の通り
SS1 13.1km ターマック60%,ライトグラベル30%,ロックガーデン10%
ターマック区間では尾根沿いの道にありがちな無酸素運動で攻略する激坂チャレンジ区間も設定されており楽しさ倍増だ

リエゾン区間の集落を通過。のんびりとした里山風景を楽しみSS2へ向かう。適当にひてみたルートだが超アタリ!1〜1.5車線のクソ狭いターマックをエンジン全開で突っ切る。俺が町長戦に出馬するなら絶対世界ラリー選手権をこの峠道に誘致する公約を掲げる。セバスチャン・オジェも涙流して歓喜するであろうスリリングでテクニカルなヤリがいのあるスペシャルステージだ。当然俺様専用かと思ったら向こうからローディが登ってきた。これアタリの証拠。タイトなブラインドコーナを巧みなハンドルさばきで攻略していくと、お父さんお母さん小学生の子供2人のファミリーが自転車で登ってきたが登りきれず自転車を押している。まじかよこの先大変だぜ。スピードを落としさわやかに「こんにちわ~」と挨拶したらクソガキが「こんばんわ」と返事しやがる大人の余裕で「こんばんわ~、頑張ってね!」と応援しておいた

 

スペシャルステージ2のスペックはSS2 5.4km ターマック100%,1.5車線のブラインドコーナの続く峠道だ。たまたまだけどアタリのルートだった

 

 

サイドリエゾン区間に戻り木曽川の丸山ダムへ!1956年の営業開始で木曽川の治水事業に貢献してきたがスペックが時代遅れとなり現在のダムの47.5メートル後ろに20.2メートル嵩上げした新丸山ダムが着工し、2029年の完成時には現在の丸山ダムは湖底に沈む運命にある切ないダムだ。僕は静かに手を合わせておいた。つうか、毎年工事の進捗を確認しに来よっと。管理事務所に立ち寄り親切にダムカード4枚セットをゲット。展望ポイントはなくダムカード目的外には見るべきものはなかった

 

 

この自転車旅のシメは、杉原千畝記念館だ。八百津町を見下ろす展望の良い場所にありなか素敵な場所だ。なんと月曜日は休館日。ありゃりゃ、しかしよく見てみると休館日の案内のところに手書きの張り紙で中に職員がいますので声かけてくださいとある。どういうこと?と思いながら訪ねてみるとこころよく見学を許してくれた。しかも無料、ラッキー!なんかこの記念館は八百津町の運営で職員は公務員。平日なんだけど月曜日は定休日としている関係上、今日は定休日の看板を掲げているがゴールデンウィークのこの日に休館にするってどうよ?という議論があったらしい。しかしお役所仕事なのか休館日は休館日!ダメなものはダメ!と押し切られてしまったけどせっかく遠くから来てもらった人に申し訳ないだろうというのがこの中途半端な受け入れ対応の理由なんだって

 

 

杉原千畝氏は、ここ八百津町でごく一般的な家庭に生まれた。人一倍の努力家で英語教師を目指した。18歳の時に外務省の留学生としてハルピンへ渡りロシア語を学ぶ。そのまま満州国外交部で対ソ連関係の仕事に従事がお役所体質ツマラン。と退職。その後外務省に復帰しロシア駐在を打診されるがこいつ切れ者すぎて国内で活動させるとヤバい。とペルソナ・ノン・グラータを発動、ロシア政府により入国拒否。しゃーないから北欧のヘルシンキで対ソ連とドイツの情報収集してね。と1937年に渡航。1939年バルト三国リトアニアカウナスに領事館を開設した。1940年にはナチスドイツはバルト三国を含め北欧、西欧を占領下において全盛期を築いた。迫害されるリトアニアユダヤ人達は脱出を試みた。しかし西欧・北欧ルートはナチスドイツの占領下。南のトルコは中立の立場でユダヤ人の入国を拒否。残るはシベリア鉄道ルートでの脱出しかなかった。ソビエトユダヤ人は差別的ではあったがシベリア鉄道経由での通過は黙認したようだ。

オランダのフィリップス社のリトアニア工場長ヤン・ズヴァルテンディク氏はオランダ亡命政府のリトアニア領事として、当時オランダ領だったカリブ海キュラソー島への上陸ビザを発行しまくった。その数2400枚以上。そしてユダヤ難民たちはまだ業務を続けていた日本領事館へ通過ビザを求め殺到した。杉原さんは日本の外務省にビザ発給OKだよね?って打診し続けるがザ・お役所仕事の外務省に拒否された。11日間もの及ぶすったもんだの末、悩みに悩んでビザの発給を独断で決意し一ヶ月で2000通を越える手書きのビザを発給した。8月29日にとうとう領事館は閉鎖。ルーマニアに移った。敗戦後は捕虜収容所に収監され1947年に帰国。わかっとるやろな?と外務省を退職させられた

 

無事に生き延びたユダヤ人達は杉原氏を探し続け外務省にも問い合わせるがそんなヤツ知らんとつれない対応。1968年に杉原紙を辛抱強く探し続けたニシェリさんに再開。1985年に日本人で唯一「諸国民の中の正義の人」を受賞した。

 

お上に楯突いてでも正しいことをした結果、仕事はやめさせられ不遇をかこつこともあったがその運命の1ヶ月の善行が見直され歴史にその名を刻まれたのだ。僕は人道の丘に立つ杉原氏の胸像を前にそのパンクロックな生涯に敬意を込めて合掌した

 

可児駅までの最後のリエゾン区間は下り基調のごきげんな田舎道。お楽しみのライドグルメで寄ろうと思っていた蘭丸亭かなえを通り過ぎたのは16時過ぎ。名物・野戦鍋はまた今度。結局今日も昼飯抜きになってしまった。そういえば前にソウルに出張したとき軍隊鍋、ブテチゲ屋に連れて行ってもらったことを思い出した。野菜とか肉とかキムチを煮込んだ鍋に米軍からもらったスパムとかソーセージをぶち込んでハフハフいいながらご飯と一緒に食べると激ウマなB級グルメ。今度自分で作ってみようっと


非電化単線の太多線に揺られ名古屋へ向かった。今日のライドもなかなかいいね。また新丸山ダムの講師の工事も楽しみだしリピート性のあるルートだ。ぶっちぎりでマウンテンバイク乗りの友達が名古屋に来たら案内したいトレイルナンバーワンとして俺様専用ミシュランガイドに星ななつ刻んでおいた。今度はバリエーションルートとしてSS3酷道418号朝鮮トンネルステージとつなげよう。シメは高さ日本一215メートルのバンジージャンプを絡めてエクストリームスポーツへ昇華させよう


腹ペコで家についたら嫁さんがトルティーヤを作ってくれた。伝統のオールドエルパソブランドのうまいやつ。こいつを低所得者層向けの節税ビールを片手に美味しくいただいた。久しぶりの本格トレイルライドで全身がクッタクタ。昨日名古屋名物のモーニングをいただきに行った喫茶店のおねーさんに教えてもらったお店のBGMにかかっていたストリーミングラジオの977musicのオールディーズチャンネルを聞きながらウダウダしているうちに寝落ちしてしまった

神君伊賀越えをゆく

八町二重七曲といわれる険しい鈴鹿峠(378m)の営業開始は平安時代の人和2年(886年)だ。たかが378mと高をくくっていたがその急勾配はさすが難所と言われるだけある。そういえば新幹線とか東海道本線東海道といいながら関ケ原中山道経由なんだな。その理由がわかったよ。昔はあるきだから勾配はなんとかなるので最短距離で道筋をつけていたんだね。僕はゼイゼイいいながら道端に設置された由緒書を眺め少し感動した。わお。千数百年前も同じ道を人々は歩いていたんだ。すげえな。柔らかな木漏れ日が降り注ぐ旧道は急勾配でチャリを押し歩くところどころ階段だがマウンテンバイカーにとっては朝飯前よとクソ重たいクロモリフレームのクロスバイクを担ぎボリボリと未舗装の山道を踏みしめる。余裕だぜ。なんか鎌倉の朝比奈切通しと似たような雰囲気だ。いやーいい場所。来てみてよかったよ。このエリアは山賊が出没し東海道では箱根と並ぶ難所と言われた。これで箱根・薩埵峠・鈴鹿峠の難所三点セットは攻略だ。薩埵峠が一番美しい。また行こう

 

 

滋賀県側な緩やかな峠で国道1号線に戻りガーッて一気にくだる。楽ちん。直感を頼りに旧東海道をなぞる。途中で気づいたが旧街道沿いは路面が土気色に舗装されている。地味にありがたいサービスだ。ハンドルバーのGPSを取っぱらってデジタルデトックスを始めて約一年。コツが分かってきたよ。街道筋は1.5~2車線。センターラインがない場合ば多い、人工的な直線ではなくたいてい、すこし右に左に蛇行しながら進む。そして街道筋にそって格子戸の民家が立ち並んでいる。そんな感じの道を見つけたらたいていなんとか街道だ。ただ村を離れ田んぼとか農業エリアに出てしまうと直線的な農道に整備されてしまっていることが多い。まぁ、生産効率とか考えると仕方ないよね。土地の買収もしやすく整備しやすそうだしね。

東海道53次の49、50番目土山宿・水口宿をチャリでかるーくながす。宿場町はだいたいわかってきたね。エグゼクティブスイートの本陣。デラックスルームの脇本陣。このへんは大名とかのおエライサンがお泊りになる宿泊施設だ。庶民向けには旅籠、ここは売春宿と賭博場も兼ねているその地域の娯楽施設も兼ねている。ま、江戸時代のラスベガス。あとは飲食店の茶屋、流通業の問屋。通信業を担う伝馬と掲示板の高札場があるかんじだね。現在はだいたい本陣に300円くらい払って見学。後は民俗資料館によってその土地の文化風俗を知る。茶屋でそばでも食ってお土産買うというのが定番だ

そして水口城址によってみた。なかなかの映えスポットだがそこしかない。本丸は高校の運動場で高校生がわんさか練習していた。写真を撮って終わりとした。なんか、ふーん。で終わってしまった

 

11時の開店ぴったりにグーグルマップで目星をつけておいた『らーめん亭日向』に入店。僕が一番の客。券売機でおすすめの醤油鶏ガララーメン大盛りを注文した。店員さんがオオキニ。と挨拶してくれる。おお、滋賀はオオキニ経済圏なんだ。なんか旅してる感あるよね。提供されたラーメンは非常に丁寧に盛りつけされて美味しそうだ。あっさりしていてオイシー。ゆっくり味わい塩分、水分、糖質を補給しカーボローディング完了!今日は残り50キロくらいだからラーメン一杯でやめておいた。食後にインスタントコーヒーといちごミルクを頂き充電完了80%。非常に気の利いた店でございました。俺様専用ミシュランガイドに星5つ刻んでおいた

 

 


次のお楽しみポイント甲賀(こうか)の甲南情報交流センター・忍の里プララへよってみる。立派なハコモノにスカスカのコンテンツでハズレ。なんかプロジェクションマッピングとかパネル展示とか薄味で味気なさすぎ、10分。その近くにある甲賀流忍術屋敷はホンモノらしくなかなか興味深い。600円の入場料を支払い10分程度の映像を見せられる。なかなかの出来だ。そしてなんかどんでん返しとか落とし穴、中二階や隠し階段、縄梯子など意匠を凝らした仕掛けがある。当時の人達の平均身長155cmなのでチッさ。オレは途中で詰まってしまい中二階の見学は諦めた。アカン、忍者にはなれない。つうか、これ実用的なの?話題作りのための仕掛けという気がしたよ。脱出口を確保しようが敵を防ぐ仕掛けを施そうがお前んちに潜入されている時点でセキュリティガバガバそんなんでいいの?そして6投で300円の手裏剣投げを試してみる。思ったより難しいがコンっつって刺さると気持ちいいぜ。いやーいいね、小一時間楽しんで出発。

 


甲賀里山風景を巡る小路をすすむ。大型車は通行困難で通る車はほぼなく俺様専用。天気もいいし、暑くも寒くもない心地よいおひさまのもとパーミルオーダーのこれって廃線跡?って思えるような優しい山路。サイコーじゃん。

 

 

御斎峠570m(おとぎとうげ)は、1582年明智光秀軍がクーデターに成功。織田信長を暗殺。旧政権側で大阪・堺出張中の徳川家康が本拠地岡崎に命からがら逃げ帰りに成功した神君伊賀越え。逃走経路らしい人里離れた閑静な山道だ。展望台からの伊賀盆地がきれいに見えるなかなかの展望スポットだ。遠く見下ろしたところにある伊賀上野城が今日の最後のお楽しみ。峠をガーッておりたけど対向車があり結構慎重におりるひつようあり意外と疲れる。神奈川のヒルクライムの聖地、ヤビツ峠を思い出した

上野公園について見ると16時を廻ったところ。あんま時間ねえな。とりあえず伊賀流忍者博物館へ。800円。コンテンツは移設された忍者屋敷で甲賀とほぼ同じ、併設されている忍者伝承館は勉強になってよってみてよかったと思えた。折角だから伊賀上野城も行こうと思ったけどもうすぐ営業時間終わりだって。まぁ、いいや。結局誰が城主だったかもわからずそんなテキトーなことでいいのか?とおもったけど伊賀上野駅へ向かった。次の電車はいつかな?と確認すると16:54、腕時計を見ると16:48。次の電車は1時間後。ソッコーチャリをバラしてリンコーバッグに詰め込んでチャリ抱えて架線橋を猛ダッシュでわたりぎりチョンセーフ。やればできる子だね

 

ワンマン運行の非電化の関西本線亀山行に揺られ、今日学んだ忍者の歴史を振り返った。紀元前2300年前黄帝の時代に用間(諜報員)に始まるとされる。歴史的名著、「孫子」にも用間の記述がされ、日本では聖徳太子が始めて諜報員として採用した。伊賀甲賀は、東国との交通の要所としてヒト・モノ・情報の流通拠点となった。その山がちの地形から統一領主が生まれず、旅芸人、博打打ち、落ち武者、遊女などちょっと社会からはみ出している浮浪民・下層階級をまとめた反政府勢力、「悪党」が跋扈し守護や地頭に抵抗した。そしてフランス革命の200年前には悪党の集団的自治共和制を確立した。その悪党は武芸を磨き、忍者としての業務内容は、情報収集、後方撹乱、破壊工作、要人警護、暗殺など非正規戦のスペシャリスト集団としての名声を高めた。そしてあちこちの戦国大名に雇われ各地で活躍した。地元では伊賀惣国一揆を組織し織田信長へ徹底抗戦。すなわち天正伊賀の乱だ。3500対50000の戦闘で壊滅。非戦闘員も虐殺対象となり9万人の人口の内3万人が殺害された。その翌年、本能寺の変織田信長はこの世を去る。盟友の徳川家康も当然暗殺リストに記載されるがたまたま家康の家臣、服部半蔵が伊賀の出身のため金銭をばらまき買収工作を行い、逃避行を成功させた。徳川家康服部半蔵を重用し、江戸城の西に屋敷を与えそこに一番近い門を半蔵門とよんだ。有事の際は半蔵門から脱出し、甲州街道から山梨へ亡命するというBCPを運用した。江戸時代に入り平和な世の中になると仕事自体がすくなくなり困窮した、農民となったり薬屋に業態をかえ忍者は衰退していった

 

現在では東京・赤坂にニンジャレストランを構えている。忍者屋敷のようにギミックに溢れたインスタ映えする店内で敵性語を流暢に操り手品で南蛮人を楽しませる。ほっとけばいいので楽ちん。多国籍軍を率い定番のはとバスで皇居、浅草、隅田川観光をこなしたあとのシメにピッタリのエンターテイメントだ。オレも実はニンジャを使いこなし任務を遂行していくというなかなかの切れ者だということに気づいた

 

 

 

旅のアルバム

 

神君伊賀越え予習フライト

関宿~鈴鹿峠357m~水口宿~伊賀~御斎峠570m(おとぎとうげ)~甲賀~加太越309m(かぶとごえ)明日行ってこよっと

 

中部国際空港を急角度で離陸!

鈴鹿サーキット鈴鹿川その先が関宿だ

関宿が近づいてきましたよ

 

 

 

右に行くと鈴鹿峠357m 左は加太越309m(かぶとごえ)

峠に向けてヒルクライム

鈴鹿峠357m

 

 

鈴鹿峠を越えると滋賀県野洲川国道1号線沿いに水口宿を目指す

 

ましたの野球グラウンドが水口城、将軍様がお泊りになられるんだって

 

甲賀はこうかって読むんだね

 

伊賀コリドールロードから信楽を目指す

 

牧場が2つ、2つ目を左へ

御斎峠570mを目指す

 

峠!

 

伊賀の街が見えてきたよ

 

中央の森が伊賀上野城

加太越309m(かぶとごえ)

伊賀甲賀を振り返る

 

穀雨・第十六候葭始生 香流川をマターリ自転車散歩 220423

 

 

 

気持ちのいい季節でございますね。たまにはブルジョアジーにイケアのビストロでアイスクリーム50円也をいただく。帰り道、トップバリュ低所得者層向け節税ビール、バーリアルをシックスパックの大人買い。午後は音楽聴きながらグダグダ過ごした

 

穀雨という名の通り日曜日は雨予報