銀輪日報

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恵那SSダート区間

「○○重工で宇宙ロケット開発に従事してきた天才エンジニアのオレに言わせると一期一会って言葉はヤリ逃げっていう意味なんだな」とその老紳士はわっはっはと豪快に笑った。今日はめずらしく外交的に辛抱強くバカ話の相手をしていたが「いい加減にせい」と思わずローリングソバットをキメてマットに沈めた。なかなかタイミングをはかりかねていたが「じぁあ、そろそろ出発します。良い一日を!」と老紳士に挨拶し、たまたま始発で名古屋から乗り合わせたグラベルリンコー青年にも「お気をつけて、また。失礼します!」とペダルを踏み込み見知らぬ者通しの世間話としては若干冗長になりかけていた恵那駅の駅前トークにくぎりをつけた。リンコーチャリダーにとって駅前トークも必須のスキルだ。とにかく三者三様それぞれの目的地に向けて動き出した。色気もクソもあったもんじゃないがたまにはこういう一期一会があってもいい。楽しい日になりそうだ

 

リエゾン区間を面舵いっぱいでトレイルへ向けて針路を合わせた。初見ルートだが首尾よくトレイルヘッドを発見。お楽しみのダート走行開始!ピーカンの五月晴れに爽やかな風が吹き抜けていく。里山は新緑に萌え、羽織ってきた英軍熱帯用戦闘服のDPM迷彩がよく溶け込んでいる。茂みをごそごそ動き回って地元の猟友会のメンバーに熊に間違えられて射殺されないよう気をつけないとな。難所上等のマウンテンバイカーのDNAが励起され血が煮えたぎってきた。ひゃっほー!と5月の里山トレイルを駆け抜ける。昨日の雨のせいか濡れ濡れでガバガバのルーズトラック。僕は繊細な指使いでブレーキタッチ、五感を研ぎ澄まし最大摩擦係数ギッリギリのところでトラクションコントロールのテクニックを駆使してオイタすることなくノーナイ麻薬ドッバドバでちょうご機嫌。いやー気持ちE!

 

スペシャルステージのスペックは以下の通り
SS1 13.1km ターマック60%,ライトグラベル30%,ロックガーデン10%
ターマック区間では尾根沿いの道にありがちな無酸素運動で攻略する激坂チャレンジ区間も設定されており楽しさ倍増だ

リエゾン区間の集落を通過。のんびりとした里山風景を楽しみSS2へ向かう。適当にひてみたルートだが超アタリ!1〜1.5車線のクソ狭いターマックをエンジン全開で突っ切る。俺が町長戦に出馬するなら絶対世界ラリー選手権をこの峠道に誘致する公約を掲げる。セバスチャン・オジェも涙流して歓喜するであろうスリリングでテクニカルなヤリがいのあるスペシャルステージだ。当然俺様専用かと思ったら向こうからローディが登ってきた。これアタリの証拠。タイトなブラインドコーナを巧みなハンドルさばきで攻略していくと、お父さんお母さん小学生の子供2人のファミリーが自転車で登ってきたが登りきれず自転車を押している。まじかよこの先大変だぜ。スピードを落としさわやかに「こんにちわ~」と挨拶したらクソガキが「こんばんわ」と返事しやがる大人の余裕で「こんばんわ~、頑張ってね!」と応援しておいた

 

スペシャルステージ2のスペックはSS2 5.4km ターマック100%,1.5車線のブラインドコーナの続く峠道だ。たまたまだけどアタリのルートだった

 

 

サイドリエゾン区間に戻り木曽川の丸山ダムへ!1956年の営業開始で木曽川の治水事業に貢献してきたがスペックが時代遅れとなり現在のダムの47.5メートル後ろに20.2メートル嵩上げした新丸山ダムが着工し、2029年の完成時には現在の丸山ダムは湖底に沈む運命にある切ないダムだ。僕は静かに手を合わせておいた。つうか、毎年工事の進捗を確認しに来よっと。管理事務所に立ち寄り親切にダムカード4枚セットをゲット。展望ポイントはなくダムカード目的外には見るべきものはなかった

 

 

この自転車旅のシメは、杉原千畝記念館だ。八百津町を見下ろす展望の良い場所にありなか素敵な場所だ。なんと月曜日は休館日。ありゃりゃ、しかしよく見てみると休館日の案内のところに手書きの張り紙で中に職員がいますので声かけてくださいとある。どういうこと?と思いながら訪ねてみるとこころよく見学を許してくれた。しかも無料、ラッキー!なんかこの記念館は八百津町の運営で職員は公務員。平日なんだけど月曜日は定休日としている関係上、今日は定休日の看板を掲げているがゴールデンウィークのこの日に休館にするってどうよ?という議論があったらしい。しかしお役所仕事なのか休館日は休館日!ダメなものはダメ!と押し切られてしまったけどせっかく遠くから来てもらった人に申し訳ないだろうというのがこの中途半端な受け入れ対応の理由なんだって

 

 

杉原千畝氏は、ここ八百津町でごく一般的な家庭に生まれた。人一倍の努力家で英語教師を目指した。18歳の時に外務省の留学生としてハルピンへ渡りロシア語を学ぶ。そのまま満州国外交部で対ソ連関係の仕事に従事がお役所体質ツマラン。と退職。その後外務省に復帰しロシア駐在を打診されるがこいつ切れ者すぎて国内で活動させるとヤバい。とペルソナ・ノン・グラータを発動、ロシア政府により入国拒否。しゃーないから北欧のヘルシンキで対ソ連とドイツの情報収集してね。と1937年に渡航。1939年バルト三国リトアニアカウナスに領事館を開設した。1940年にはナチスドイツはバルト三国を含め北欧、西欧を占領下において全盛期を築いた。迫害されるリトアニアユダヤ人達は脱出を試みた。しかし西欧・北欧ルートはナチスドイツの占領下。南のトルコは中立の立場でユダヤ人の入国を拒否。残るはシベリア鉄道ルートでの脱出しかなかった。ソビエトユダヤ人は差別的ではあったがシベリア鉄道経由での通過は黙認したようだ。

オランダのフィリップス社のリトアニア工場長ヤン・ズヴァルテンディク氏はオランダ亡命政府のリトアニア領事として、当時オランダ領だったカリブ海キュラソー島への上陸ビザを発行しまくった。その数2400枚以上。そしてユダヤ難民たちはまだ業務を続けていた日本領事館へ通過ビザを求め殺到した。杉原さんは日本の外務省にビザ発給OKだよね?って打診し続けるがザ・お役所仕事の外務省に拒否された。11日間もの及ぶすったもんだの末、悩みに悩んでビザの発給を独断で決意し一ヶ月で2000通を越える手書きのビザを発給した。8月29日にとうとう領事館は閉鎖。ルーマニアに移った。敗戦後は捕虜収容所に収監され1947年に帰国。わかっとるやろな?と外務省を退職させられた

 

無事に生き延びたユダヤ人達は杉原氏を探し続け外務省にも問い合わせるがそんなヤツ知らんとつれない対応。1968年に杉原紙を辛抱強く探し続けたニシェリさんに再開。1985年に日本人で唯一「諸国民の中の正義の人」を受賞した。

 

お上に楯突いてでも正しいことをした結果、仕事はやめさせられ不遇をかこつこともあったがその運命の1ヶ月の善行が見直され歴史にその名を刻まれたのだ。僕は人道の丘に立つ杉原氏の胸像を前にそのパンクロックな生涯に敬意を込めて合掌した

 

可児駅までの最後のリエゾン区間は下り基調のごきげんな田舎道。お楽しみのライドグルメで寄ろうと思っていた蘭丸亭かなえを通り過ぎたのは16時過ぎ。名物・野戦鍋はまた今度。結局今日も昼飯抜きになってしまった。そういえば前にソウルに出張したとき軍隊鍋、ブテチゲ屋に連れて行ってもらったことを思い出した。野菜とか肉とかキムチを煮込んだ鍋に米軍からもらったスパムとかソーセージをぶち込んでハフハフいいながらご飯と一緒に食べると激ウマなB級グルメ。今度自分で作ってみようっと


非電化単線の太多線に揺られ名古屋へ向かった。今日のライドもなかなかいいね。また新丸山ダムの講師の工事も楽しみだしリピート性のあるルートだ。ぶっちぎりでマウンテンバイク乗りの友達が名古屋に来たら案内したいトレイルナンバーワンとして俺様専用ミシュランガイドに星ななつ刻んでおいた。今度はバリエーションルートとしてSS3酷道418号朝鮮トンネルステージとつなげよう。シメは高さ日本一215メートルのバンジージャンプを絡めてエクストリームスポーツへ昇華させよう


腹ペコで家についたら嫁さんがトルティーヤを作ってくれた。伝統のオールドエルパソブランドのうまいやつ。こいつを低所得者層向けの節税ビールを片手に美味しくいただいた。久しぶりの本格トレイルライドで全身がクッタクタ。昨日名古屋名物のモーニングをいただきに行った喫茶店のおねーさんに教えてもらったお店のBGMにかかっていたストリーミングラジオの977musicのオールディーズチャンネルを聞きながらウダウダしているうちに寝落ちしてしまった