山の方見てみると水蒸気たっぷりの重たい雲が立ち込めて両白山地あたりが暗い。エーッあそこ越えんの?今日はパス。プランB発動。ピーカンの空のもと南今庄駅を下車
北陸本線の難所と言われた今庄〜敦賀の近代化遺産ルートをたどった。1896~1962年まで利用された旧杉津線跡は現在福井県道207号今庄杉津線として残されている。非電化単線の非常に狭いトンネルのためトラックは通れず、交通量は地元の軽トラが一時間に3台位。南条山地の標高265メートルの山中峠の前後14キロメートルにわたり、当時の鉄道技術の限界の25パーミルという急勾配が続くサイクリストにとってはたった2.5%の坂なので鼻歌歌いながら登れてラクショー
万葉の時代(AD629-759)には街道が開かれ都から越の国に入る旅人のための最古のルートだ。830年には木ノ芽越の「新道」が開かれたが引き続き利用され最古の北陸道「万葉の道」として現在も残る
街道沿いには要所要所に丁寧に写真付きで解説された案内板が設置されており、丹念に読み込み往時を偲べた。大桐駅跡、山中信号場、山中スイッチバックそれぞれ見ごたえがある鉄道遺構だ。山中峠からはトンネル群が始まり下り基調。狭くて暗いトンネルなのでスピードが出やすい下り基調は助かる。遠く出口の光を目指して自転車を漕ぐわけだが、全く照明のないトンネルもあり、平衡感覚が失われそうで自転車を降りて押し歩いた。杉津PAあたりで、三叉路にわかれ左折すると旧北陸本線、直進すると旧北陸道を集落に下る分岐が出現
折角なので旧北陸道を下ってみた。8号線にぶつかった、ここを敦賀に向かうとサイクリストにとって超危険地帯のデスゾーンだ
ここを北へ向かえば越前海岸を沿って走るしおかぜラインだ!
次は北へ向かおう。比高200メートルを登り返し旧北陸本線ルートをたどる。のどかな里山で非常に快走路だ。やっぱチャリと鉄は相性抜群。チャリをとめて稲刈りを眺めたり、バードウォッチング愛好家と会話をしたり上質な時間が過ぎた
10時には敦賀の街に到着。とりあえず旧敦賀港駅舎をゴールにしよう。1912年「欧亜国際連絡列車」が運行され、新橋~敦賀港駅~ウラジオストク~シベリア鉄道経由で東京とパリを結び多くの人や文化を運んだステキな路線の発着駅だ
当地の名物「敦賀ヨーロッパ軒のソースカツ丼」をいただいて帰ろうかと思ったが今日は休み。仕方ないので北陸とタイのソウルフード、8番ラーメンは営業開始11時。手持ち無沙汰なので名勝気比の松原へ向かった。青い空に美しい海と浜、フォトジェニックな風景をベンチに座って楽しみのんびりとした時を過ごした
ゆっくりご飯をいただき、駅に向かった。列車の出発まで1時間以上ある。自転車をキレイに掃除して輪行の準備を整え、きっぷを買ってビールを飲みながら観光案内やパンフレットを読み込んで時間を潰した。贅沢な時間だ
現在南今庄駅~敦賀駅はわずか12分、16.6営業キロで内1962年に開通した北陸トンネルが13.9キロを占める
米原へ向かう北陸線からみた伊吹山に雲がかかっていた。大垣あたり見えたもともと今日越えようと考えていた両白山地も雲の中。東海地域は晴れ予報だったが、いまいちパットしない天気だった。今日はめずらしくグッド・チョイスだった
旅のアルバム