1944年9月8日ナチスのV2ミサイルがロンドンを襲
V2は自律航行型弾道ミサイルでナチスの超ハイテク兵器だった。しかし、その開発には湯水のように資金を費やし、米国の原子爆弾開発計画マンハッタンプロジェクトと同様の約2.5兆円が使われた。積載量1,000kgで射程距離320kmのそのミサイルは科学的には非常に優れたものであったが、戦略的にはほぼ意味がないものでありナチスの劣勢を覆すことはできなかった。一方対日戦に使用されたマンハッタンプロジェクトの成果物である原子爆弾は約5トンの重量があるがB29によりテニアン島から2,400kmの距離を運搬、投下された。戦争とは外交の一形態である。それぞれのプロジェクトが成し遂げた政治的効果はその後の国際政治史に複雑に絡み合った。
結局彼がナチスのもとで取り組んだプロジェクトは時代を先取りしすぎたのだ。結局ロケット技術は、核兵器の優れた運搬手段として大陸間弾道弾の米ソ間での開発競争や、月への有人飛行計画として昇華していく。
ドイツの敗戦が濃厚になる頃、ブラウン博士は開発資料とサンプルをまとめ米国への亡命を図った。米国ではその経歴から白眼視された。ナチの科学者であり、そしてその裏切り者であると。倒産寸前の企業の開発部長が部下とともにライバル企業に転籍するようなものだ。それでもロケット開発への情熱を持ち続け1969年7月20日、彼が開発指揮したサターンVロケットにより人類を月に送り込んだ。
14歳の時に出会った本に感銘を受け、宇宙旅行に憧れ続け、時には戦争に非協力的だとゲシュタポに拘束されながらも43年間諦めずについに夢を成し遂げた稀代のロケット野郎バカ一代、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士の傑作を含め質の高い収蔵品が展示されているロンドンのサイエンス・ミュージアムを訪れた。
産業革命の国らしく入り口は、やはり蒸気機関を集めたエネルギー・ホールから始まる。そしてその奥には宇宙開発コーナーだ。さらに自動車や機械や放送機器などの現代に至る技術史の展示。ボクの嗜好にピッタリの内容であっという間に時間が過ぎてしまった。一人でぶらりと博物館を訪れて興味の赴くままじっくりとそのコレクションを鑑賞する。なかなか贅沢な時間の過ごし方だ。
僕がちびっこの頃、夏休みの宿題で図書室から借りてき
サイエンス・ミュージアム
所在地(Google Map)