銀輪日報

本と自転車旅とB級グルメ

うだつのあがる街

時間、資金、労力を費やしてでもヒトは旅行が好きだ。その理由は、資源(食料や燃料)を確保し生存確率を上げ、そして究極的には種の保存のため遺伝的多様性を目的とした血縁関係の遠い個体との交配を目指したためではなかろうか、そのためヒトは世界を探り、調べ、知ろうとする。現代ではその終わりなきフロンティアは宇宙空間に広がっている。最近そんな哲学的想いに駆られた


僕は始発の太多線で「俺様専用いったことあるぜマップ」の空白域を埋めるべく今日も旅に出る


無人駅の美濃川合で下車、ワンマン運転なので先頭車両の一番前のドアまでの移動がめんどい。サクッと輪行解除し出発。7時頃。すでに日は高く昇っている。飛騨川沿いに遡上するも国道41号は朝から交通量多め。そうなんだよね、富山まで続く41号とか156号ぞいに飛騨国を駆け抜け富山湾越しの立山連峰を拝みたいのだが、チャリンコにはデスゾーンなんだよね


まずは飛水峡ロックガーデン。先着の自転車のおじいちゃんに爽やかに挨拶するも思いっきりスルー。この秘境にたった2人の状況でスルー?まぁ、僕は構わないが、このひと孤独な人生なんだろうなぁ。こういう人にはなりたくないもんだと他山の石を置いた
ここからさきは神渕川沿いを遡上、「そらふさがり」へ。モーターサイクル乗りが先着しており、じっくり写真撮影中。折角だからバッチリ決まった写真を撮ってあげた、露出を変えて2枚。その後自分のiPhone6sでなかなか決まらない構図に悩みながら、こういう場所こそさっきの広角カメラほしいなぁとオモタ

なんか来たことあるぞ?と既視感があり、脳内を高速インデックススキャンしたところ、空間マッピングの類似性から僕の心の本籍地東京都檜原村の神戸(かのと)岩がヒット。おぉ、久しぶりだぜ。その後、河原でじゃぶじゃぶ涼んで再出発

 


山村をつなぐ県道レベルに戻ると意外と走りづらい。狭い対向2車線に狭い歩道を分ける縁石、雪国らしい荒れた路面に地域の交通が集中する。気温もどんどん上昇し、あーだり。楽しいルートではないなぁ


なんとか美濃の街着、うだつの上がる町並みを見学。うだつって、防火壁のことなんだって。隣の家が家事になっても俺ん家には延焼しないための壁。お金持ちしか作れないから、うだつが上がる。お金がないやつは、うだつが上がらない。例えば、うだつの上がらない俺は、炎上プロジェクトに実戦投入され丸焦げ。うだるの上がるやつは、うまくかわして人生を歩む。言いえてミョウ、ハラオチしたよ

 


その後ダルい県道をギコギコ漕いで、刃物の町、関市へ。まんずはフェザーミュージアム。かみそりのフェザー、聞いたことあるけど使ってないな。入場無料の博物館は、製品展示館みたいであまりソソらない。主力のカミソリの製造工程のパネル解説があり、型抜き、焼き入れ、ロゴ印刷、着色、刃つけ、仕上げという行程なんだってただ詳しいこと書いてない。ただだしそんなもんか

 


関鍛冶伝承館の展示はわりと興味深い。砂鉄を炭で加熱して粗鋼を作る。これを炭で1200~1300度に加熱して真っ赤っ赤にさせて、大鎚でトンカンぶっ叩き鍛錬する。具体的には不純物を火花として叩き出すんだって。なぜ炭でこんなに加熱できるかは理解できなかった


硬度の異なる粗鋼を重ねてまた加熱し叩いてクラッド材を作り出す。ここから刀の形に叩き出して、水にジュッつとつけて焼入れ、刻印やら粗研ぎをして次の職人さんへ。ここまでがいわゆる刀匠のお仕事。その後は、研師、柄巻師、鞘師、白銀師(はばきという部品を作る)の手を経て一丁上がり。後は名刀の展示が合ったがあまり刺さらず。わりと歴女がいたのが意外だった


その後は多賀坂トンネルを目指し南下、わりと素敵な峠道。これも脳内メモリから、あきる野の入山峠との類似性を発見。多賀坂トンネルは趣があってバエる。表面処理はされず素掘りのままの感じ、また高さが目立つ。なんでこうなるの?と調べてみたら勾配をなだらかにするためにトンネルを掘り下げるんだって

 


がーって坂をかけ下っていくと目の前に犬山城が!おお、突然形成済みのメンタルマップに接続してピコーンと通知音が鳴った。プチ感動。ずっと鵠沼だと思っていた鵜沼からメーテツで撤収。単線の小牧線は趣があってよろし


春夏シーズンの遠征はこれにて終了かな


秋は、大矢田神社、モナの池と秘境ネオオッパ(根尾越波)を探索しよっと