銀輪日報

本と自転車旅とB級グルメ

國破山河在・城春草木深 江州小谷城バイク&ハイク

公式パンフレットによると中世五大山城、難攻不落の小谷城は1573年に織田信長軍の攻撃により落城。むむむ。なんか矛盾してねえか?辞書で調べてみると『攻撃するのが困難で、容易に陥落しないこと』という意味だ。姉川の戦いから3年間持ちこたえたということで語意はあってるんだな。勉強になりました

 

本日の計画ルートは敦賀→塩津海道→木之本→北国脇往還関ケ原。サクッと60キロ。鼻歌うたいながらのんびり行こうぜ

 

敦賀を出て国道8号線の登り、道幅は広く比較的安全だが日曜なのに10トントラックがかっ飛んでいく。標高260メートルの県境の峠、新道野越付近に『名物とろろそば孫兵衛』という藁葺き屋根の峠の茶屋風のお食事どころがあったがそばって1000円とかする割にすぐ腹減ってコスパ悪いんだよね。と、いつも通りパスしてしまった。後で調べると松尾芭蕉に縁があるようでステキな日本庭園も併設されているとのこと。今度来たとき旧北陸線トンネル群と合わせてゆっくり寄ってみよっと

 

ガーッって一気に坂を下って塩津の街へ。今日は先を急ぐので、余呉湖や賤ヶ岳といった魅力的な観光資源はとりあえずパス。一気に北国街道木之本宿へ到達。ここまで30キロ、2時間弱。このエリアは今度ゆっくり散策してみよう

 

 

そして定番グルメのつるやのサラダパン。たくあんのマヨネーズ和えをコッペパンに挟んであるというなかなかパンクロックな食べ物、一口目はむむむ。これうまいのか?という感じだがなかなかクセになる味で3回めの訪問だ。160円と強気の値段設定だが、山ほど売ってるベストセラー商品だ。列をなすことはないがお客さんがひっきりなしに訪れるなかなかのパン屋さんだ

 

事前調査で明確な旧街道筋というのが見つけられなかったため此処から先は直感に従い進むことにした。敦賀に比べ北近江は寒くて風が冷たい。標高100メートルくらいあり、琵琶湖そのものの水面の標高が84メートルもあるんだって。こういうときのために買い込んでおいたビンテージものの英軍DPM迷彩ジャングルファティーグを着込む。簡単に言うと中古の作業着。NATO8090/0515サイズでジャケットとして羽織るにはぴったり。通販で2000円也。廃棄処分になるやつをまとめて買ってきて着れそうなやつを売るっていうビジネスなんだろうな。安心してリピート買いでポチれるのはサカゼンのT3サイズのワイシャツ、ドイツ軍のGr.Nr20、NATO規格の8090/0515と選択肢が増えてきた。いままでサイズが見つからず、ラージサイズの品揃えが豊富だという銀座のユニクロへ出向いても、ラージサイズって横かよ!縦ってないの?とか、香港のスタンレーマーケットへ買い出しに行くとかさんざん苦労してきたけどなんとか定番サイズを探し当てられたよ。今後は安心して生きていられる

 

 

とりあえずこのまま365号を進むことにした。小谷山がどーんと見えてきた。近づくにつれ登ったらどういう景色なんだろう?と気になってきた。戦国の聖地と幟が立つ小谷城戦国歴史資料館へ立ち寄ってみた。入場料300円。展示内容は槍の穂先とか、小谷城で出土された陶器とかレプリカの浅井三代の肖像画とか古文書の類と、浅井三代に関するクイズとか小谷城ジオラマ。正直イマイチ。価値的には150円。残りの150円は地元への寄付と考えるとちょうどいいくらいだ。ただその後小谷山に登って見るならマップもあるしよっておく価値はあるところだ

 

 

左右に伸びる尾根にどーんとそびえ立つ小谷山を見ているとやっぱ登りたくなるよね?コースタイムを見ると全部回って3時間。お昼過ぎてヤマに取り付くのはちょっと気が引けるが天気もいいし今日しかないだろ。ただ例によってパワーエサ持ってこなくて、ペットボトルの水だけ。遭難したらこのドシロウトがって怒られるやつ。ただやらないで後悔するよりやって後悔した方がいい。さっきサラダパン食べたし大丈夫だろう

 

 

まずは主要な施設があった向かって右の追って道を登っていく、登りながらさっき学んだ浅井氏の歴史を頭の中で整理した。浅井長政君は15歳で跡目を継いで浅井組をひきいて北近江のシマをきっちり固め名声を高めた。名古屋の織田信長は、岐阜の斎藤氏と争っていて敵の敵は味方だよね?と浅井長政君(23)に手組みしようぜとアプローチ。オレの妹、お市の方(20)めちゃめちゃ美女なんだぜ嫁にやるよ。よろしくなっとベタボレ状態。

 

そのわずか3年後の1570年、信長兄さんが敦賀侵攻中に突如反旗を翻し朝倉方に味方する。オレ今朝敦賀から来たばかりだから分かるけど岐阜・名古屋への帰り道なくなってやっべぇ状態。朝倉軍と挟み撃ちにしてきっちり滅ぼしておくべきだったのに詰めが甘く逃してしまった。そして姉川の戦いで敗北。引きこもり状態となった。3年間対抗し続けたがついに力尽きて1573年ついに滅亡。享年29歳。これだけだと妻子路頭に迷わせてなにやってんだか全然ダメじゃん。って感じがするよね。かわいい嫁さんと仲睦まじくよろしくやってりゃいいものをやっぱ美人は三日で飽きるって本当なのか?とかポリコレ的に問題なことをふと思い出した。でも実際は歴史に残らない浅井長政君の苦悩ってあったんだろうな。美人の嫁と可愛い娘のためにイケイケの信長義兄さんとしっかり手を結んでお父さん頑張るわ。と思っていたのにわずか3年でシネ信長!となっちゃうんだもんな。朝倉軍の方が可能性があると思ったんだろうね。今度越前の一乗谷朝倉氏遺跡行ってみよっと。

 

 

どうせリア充のおとぎ話でオレには関係ないぜとおもっていた戦国時代の物語もすこし理解が深まってきたよ。オレ的には権力に対抗して立ち上がる百姓一揆とかフランス革命とかピーポーパワーとか好きなんだけどな。そんな資料館ないかな

娘さんたち3姉妹はそれぞれ歴史に名を残し大河ドラマにもなったみたいだけどオレは見てねえ。ぎゅっとまとめて2時間、ながくても1シーズン10話までにまとめてくれんとだらだらと見きれないよ。イマドキ

 

 

新緑が芽吹き始めた春ののどかな登山道を登っていくと展望台からの眺めは最高。眼の前の虎御前山の向こうに琵琶湖が広がる。要所要所に案内板が掲示されその歴史と構造が解説されておりなかなかためになる。登ってきてよかったよ。本丸跡には当時の石垣が残っており往時を偲べる。突然、国破れて山河あり、城春にして草木深し。という台詞がポップアップしてきた。全くその通りの場所だよね。この漢詩が生まれたのは757年唐の詩人、杜甫の作品だ。ぶっちゃけ今も昔もやってること変わらんよな

 

 

登ってみてわかったんだけど本丸って頂上じゃなくて尾根の途中にあるんだね。小谷山494.5メートルを山頂は大嶽城跡なんだね。ここからは下りほぼ一本道の登山道で案内にしたがって歩いていけば迷うことはない。登ってみてよかったよ。今後この傍を通るたびにオレはあそこ登ったことあるんだぜ。って言い続けられるぜ。意外と早く2時間強でコンプリート、折角だから姉川の戦いの古戦場によって、パンフレットいただいた国友鉄砲の里資料館に寄って今日はシメよう

 

美しく萌える伊吹山地の稜線を眺めながら、侵攻軍を迎え撃つならここだよね。って場所に姉川の戦い古戦場はあった。浅井軍結構奮戦したようだが衆寡敵せず結局大敗北、両軍合わせて2500名の死者。地元の人たちにはいい迷惑だよね。やっぱ戦争はあかんわ。お前らプロならカタギに迷惑かけンナ

 

 

姉川沿いを下って国友村へ。天文十三年創業。創業以来四百余年『鉄砲・火薬』国友源十郎商店の看板をみつけよってみた。門構えの立派な民家で日曜だから休みなのかな?ビビって門をたたくことなく資料館へ。入場料は300円。最初に10分ほどの動画を見せられる。なかなか良くできていて国友村の歴史と鉄砲の構造と作り方まで丁寧に解説していただける一見の価値あり。その後は2階の小さな展示室に登った、訪問客は俺様と歴女2名。

 

 

まとめると、1543年に種子島に中国船が漂着、乗客のポルトガル人所有の火縄銃2丁を領主種子島時堯が購入した。一丁は将軍に献上され1544年、お前らこれ作ってみてよ。と国友村の鍛冶たちに発注。6ヶ月位かけて完コピ成功。構造は簡単で鉄パイプの一方をふさいで火薬を詰めて弾を込め、火つけたら火薬が爆発して弾が射出されるというもの。鉄パイプを塞ぐのにタップ切ってボルトねじ込んでたんだけど当時はネジの概念がなくどうすりゃネジ山切れるんだ?と悩んでたけど大根で実験してみたらうまく行ったようだ。鉄砲の技術は和歌山県根来寺津田監物君が種子島のお土産に鉄砲を買って地元の鍛冶屋で量産開始。もう一つは大坂堺の橘屋又三郎が種子島に渡り技術を学び鉄砲産業を興した。そしてここ国友村だ。なんか近所を流れる姉川で良質な砂鉄が取れたんだって

 

 

動画の上映が終わったら何故か古めかしい自転車が飾ってあることに気づいた。何?って説明文読んでみると宮田自転車の創業者は国友村で鉄砲づくりの修行に来ていたんだって。で、1891年の作品。最古の自転車メーカ、イタリアのビアンキの創業が1885年。数年遅れただけの結構名門なんだな、ミヤタ自転車って女子の通学自転車っていうイメージしかないがホームページ確認してみると結構ラインナップが充実、ただしビッグサイズがないのでやっぱり選択肢には入らない。残念。同じく鍛冶屋出身で鉄砲の街だった堺も明治時代に自転車産業が沸き起ったんだって。鍛冶屋さんて器用なんだな


小さな展示室に火縄銃とか火薬入れ、銃身の作り方の解説がある。あとは銃がおいてあって重さを体験できる。まぁ普通。15分もあれば十分かな。小さい展示だけど動画も含めてその歴史、製造技術、構造、手にとって構えられるというギュッとエスプレッソのような美味しい資料館だ

長浜駅からリンコーで名古屋に向かう。流れ行く車窓を眺めながらおお、関ケ原を越えて大垣くらいまではいい感じじゃん。いろいろサイクリングルートが作れそうだ。妄想が膨らむなぁ。知らない土地を自転車旅でおとずれて地域の歴史や文化、風を切って景色を愛でる。そして少しずつ点と点が繋がって知識がつながって理解が深まっていくコネクティングドットってやつ。鉄砲鍛冶が自転車産業のルーツって思わず知ることができたし、世の中いろいろ勉強でございますなぁ。ありがたや。と特別快速豊橋行きのスカスカの社内で手を合わせた

 

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