その主役が自ら自動車爆弾でブッ飛ばしたオスマン帝国時代の町役場。1932〜1948年にかけて活動したシオニスト過激派イルグン、またエツェルとも知られる危ない連中の博物館だ。
その信条は「武装ユダヤ人しかユダヤ人の国を守れない」「積極的な防衛」対英攻撃でホテルを爆破したり、アラブ人を虐殺したりやることがヤバい。当然国連や米英からテロリスト指定を食らう。
志願者は自らメンバーとのコネを作る必要ある。その後、セイフハウスの真っ暗な部屋で面接。ロマンや冒険心といった浮ついた心を拭い去る。その後4か月に及ぶイデオロギーの講習後ようやく他の構成員に紹介され武器や爆発物の扱いや攻撃戦術、諜報活動についても学ぶ。
メンバーは対ナチパルチザン、英陸軍、ハガナ出身者がおり多様な経験が組織にもたらされた。
1947〜1948年の第一次中東戦争で勝利しイスラエル建国後、多数の戦闘組織を取りまとめイスラエル国防軍が設立された。イルグンも最終的には吸収された。
攻撃予告で人々に避難する時間を与えたり、攻撃対象を政府施設に絞ったり、人の少ない安息日の攻撃で極力被害者を減らす配慮がなされたという評価もある。
テロリストグループと見做される組織の博物館は非常に珍しい。とはいえイスラエルの独立に一定の貢献を果たしたのも事実だ。六芒星の旗のもと、イスラエル陸軍の管理下で彼らの歴史や活動を紹介する博物館となった。
綺麗事だけでは終わらないイスラエル建国までの困難とその闘いだ。地中海の風に吹かれる開放的な広場にイルグン構成員の記名碑がある。現代の価値観で善悪の二面性だけでは評価しきれない複雑な歴史に必要とされたダークヒーロー達なのだ。