その歴史は大日本帝国陸軍が第二の飛行場として各務原飛行場を開設した1916年(大正6年)に始まった。ちなみに所沢の航空記念公園の前身、陸軍所沢飛行場は1911年に営業開始だ。その後川崎航空機が進出し街は繁栄していった。敗戦前の空襲により街はほぼ壊滅し、その後米軍の接収を経て航空自衛隊岐阜基地を中心として復興、現在では宇宙航空関連の国内生産高の12%(2300億円)を占める飛行機の街だ
派手な展示物はないが、日本の航空機開発の歴史を紐解くように実験機が多めに展示されている。宇宙関連もパネル・模型が中心だがエンジン、ロケット開発の歴史、ISSまで卒なく網羅している博物館の優等生だ。よく考えてみると、航空業界のサグラダファミリア、もしくは永遠に未完の横浜駅、日本のエリートたちが必死こいて頑張ってもグダグダのミツビシ・スペースジェットをみるに戦後は日本の航空技術は全く地味な基礎研究どまりで技術の継承って大切なんだなぁとシミジミした
地味に注目すべきは2020年末の帰還を目指して地球に向かっているはやぶさ2号の実物大模型展示だ。皆さん頑張って無事帰還しますようにと静かに手を合わせた
当館の目玉展示、陸軍三式戦闘機二型「飛燕」の現存機。1941年から終戦まで3000機が生産された各務原の特産品だ。もう一機は太平洋戦争の初戦を制したゼロ戦の試作機、当地で初飛行した海軍一二式艦上戦闘機だ