2020.06.07 102.5km
半月前に訪れた恵那駅の観光案内所で配布していた恵那市明智町山城攻略マップはなかなか出来が良い。こういうのも面白いよという提案につられ今度行ってみたいなぁ思える魅力を発信している
サイクリングの目的地として山城はなかなか相性がいい。その理由をまとめてみると①たいてい眺望が良い場所が多い②所要時間が1~2時間お手軽プチハイキングで攻略可能③その土地の歴史的教養を積める、という感じだ
そして毎週のように自転車に乗っているとその「今度」を活かす機会がすぐに来る。もう梅雨入りかと思っていた週末だが夏日の晴天予想だ。思わぬボーナスステージに折角だから気になっているうちに出かけることにした
ここに掲載されている小冊子もなかなかいい
チョー頑張って4時半過ぎに出発!モリコロパーク横の県道215号、田籾名古屋線の快走路をカッ飛ばす。早起きした甲斐があってまだ交通量は少なくゴキゲンだぜ。猿投グリーンロード経由のほうがはやくて近いがなんだかバイパスという移動作業感があってあまり気が進まない。ただし自転車専用レーンがあるので渋滞にハマることはない。混む時間帯の前、早朝であれば田籾名古屋線のほうが気持ちの良いサイクリングが楽しめるのだ
猿投の街を抜け矢作川(やはぎがわ)を左岸沿いに遡上するルートをとった。あまり深く考えずにルートを引いてみたのだが、アタリ!
愛知県道355号線は、メインの県道11号線の対岸を走る。若干路面が悪いところがあるが、交通量はほとんどなくかつ日陰で涼しくサイクリングを楽しめる好ルート!あまり深く考えずセオリー通りに水辺を左側になるようにルートを引いただけなのだがこれがアタリでゴキゲンだ。これ間違って11号を通るルートにしたら随分印象が異なるんだろうな。ロードバイクに何人か抜かされたけれど、僕はのんびりと矢作川の清流を眺めながら淡々と自転車を漕いだ
途中思わぬところで廃線を発見!たどってみると日本国有形登録文化財の三河広瀬駅に到着。全くノーマークだったがこういう思わぬ邂逅にサイクリングの楽しさだ
まだ6時過ぎなので僕以外は誰もいない俺様専用駅で思う存分見学、写真撮影を堪能した
その後は上り基調の矢作川沿いを遡上する。鳥の鳴き声と清流の流れと、そしてコォォォォとタイヤがアスファルトを転がる音が聞こえてくるくらいの静かな朝だ。なんだかお腹が空いてきてファミリーマート小渡店で朝食を購入した。サイクルラックが設置されており後でぐぐってみると矢作ダムが人気のサイクリングスポットなんだ。今度行こう!陽が高くなってきたので面倒くさいけどここで日焼け止めを顔、首、腕、脚と露出部分に塗りたくった。後から振り返ると効果あった
矢作川にお別れをし愛知・岐阜県道豊田明智線を明智川沿いに登っていく。なかなか美しく豊かで涼し気な流れで休憩したかったが水辺まで降りられる場所は見つからなかった
標高430~450mくらいの思ったより高原な明智の町についた。まずは土岐明智城へ。こじんまりとした山頂からは街の中心部とトイメンの白鷹城の山が見えるなかなかいい眺め。1528年3月30日に生を受けたという明智光秀公の産湯の井戸を見学
せっかく大河ドラマの主人公の座を勝ち取りかきいれ時なのに僕以外には誰もおらず真新しい幟が若干虚しくはためいていて気の毒だなぁ。観光客に期待してであろうオフィシャルサイトまで準備して二次元コードでアクセスできるようになっているほど気合が入っているのになぁ
その後街へ下り、大正時代をテーマにした古びた町並みを散策、なかなか素敵な感じなんだが、早すぎてまだ営業開始時間前のようだ。しかたないので明智城へ行くことにした
明智城へ向かう道すがら、1688年に普請された旧三宅家へ寄った。ガイドのおじさんが説明してくれる。家老の息子が宮仕えなんかやってられねえと脱サムライし隠居したのがこの家、当時の価値にして35億円!まじかよ!そりゃ、宮仕えなんかやってられねえよな。ドジ踏めば切腹だし、その金ありゃ一生遊んで暮らせるもんな。うらやましいぜ
マウンテンバイク向けのシングルトレイルを歩いて、明智光秀公学問所天神神社を参拝。案内板の英語を読むとアケチ・ミツヒデ・アカデミー。なんか横文字にするだけでカッコいいな
石垣がなく天然の要害のという景観のためか本丸跡はなんとなく山賊の砦という感じがした。織田と武田の抗争の最前線のためか質実剛健な実戦の場所なんだなぁ
そして若干登り基調で岩村へ向かった。登山口から1km。約20分で標高717メートルの本丸へ。なかなかいい眺めだ。ちなみに岩村城は日本三大山城の一つだと。そんなのあるんだ。登りながら僕の故郷の八王子城も絶対その一つだろうし、大月の岩殿山城もひょっとして?本日思いがけず日本三大山城制覇か?とドキドキしながらググってみたらかすりもしてねえ
その答えは美濃岩村城、大和高取城、備中松山城だと。岩村城も悪くはないが八王子城や岩殿山城の方がもっと山城っぽいし、本丸からの眺めはより優れているぞ、営業努力が足りんなぁとがっかり
案内板には1582年3月31日織田信長公は、筆頭家臣の明智光秀公とともに入城、同日武田勝頼公は嫡男ともども敗死、80日あまり後、織田信長公は、明智光秀公の謀反により自刃と説明があった
今風に言うとリア充(すなわち公と呼ばれる人)たちの権力闘争と行ったところか?明智光秀公は地方の町工場の跡取り息子として生まれ、若いうちに工場が倒産。そうこうしているうちに今をときめくベンチャー企業に職を得て、事業本部長に出世し、クーデターを成功させ社長の座を奪うが取締役会の信任を得られず失脚という感じなんだろう
僕がそのころ生きているとすれば、小作農として糊口をしのぎ一生懸命育てた作物を織田信長公とか、明智光秀公とか、武田勝頼公とかおエライサンの使いっパシリの下級管理職の代官様に頭があがらず涙を流しながら年貢を納める役どころだ
だから戦国歴史モノはリア充たちのおとぎ話として僕にはなかなか興味がわかないのだということに気がついた
山を降りウロウロしていると、小泉総理大臣の揮毫した佐藤一斎翁像が目に入った。なんだろうと見てみると幕末の志士に大きな影響を与えた地元出身の儒学者だとのこと。地元のおじさんがいろいろ話しをしてくれた。正直知らなかった。こういうの旅してみないと気づかない新たな発見だ
農村をフラフラしていると明知鉄道が電化されていないことに気づいた。多分絵になるぞと田んぼの畦道でのんびりと電車を30分近く待ちニワカ撮り鉄実施。納得の急行大正ロマン号1両編成をカメラに収めた
その後は国道363号をガーッと恵那市街までくだる。途中農村景観日本一展望所に寄ってみた。たしかにいい眺めだがこれって言ったもん勝ちじゃない?と思った。それでもその絶妙なセールストークに釣られたか、訪問者は絶えなかった
13:31恵那駅発で帰宅。100km強の自転車旅を振り返りながら涼しい電車でリフレッシュ。下界は夏空で暑い!そして大河ドラマを頑張ってみるも、いつものとおり寝落ちしてしまった