2019.09.07 85.4km
鬱陶しく汗臭い無駄にギラギラとやたら熱量に満ち溢れた日々は、僕が気づかないうちに徐々に遠ざかろうとしている。漠然とした日常生活の中、何気なくその気配に気づいてみるとなぜかふと物悲しい。
僕は朝六時前、東青梅を発ち成木街道から奥武蔵を目指した。15分ほどで関東有数の激ヤバ神霊スポット成木トンネルにさしかかった。新、旧、旧旧の3本のトンネルのうち僕はいつもの通り自動車通行禁止の旧を選択し距離は短いものの、のんびりと旧道ライドを楽しんだ。
街道に戻り本格的な巡航運転に入った。土曜の朝っぱらから熊谷とか秩父ナンバーの10tダンプがガンガンぶっ飛ばしている。まあそれでも交通量は少なくまずまず快適なサイクリングルートだ。
有間ダムで一息ついた。水位は低いが、台風の時期に備えてそうしていると。勉強になるなぁ。そこから5kmほど入間川沿いに快走し、いよいよお待ちかねの山岳ステージの始まりだ。まずは標高606mの山伏峠を攻略、続いて正丸峠(636m)で小休止。地元のライダーと旅の四方山話で束の間の時を過ごした。交通量はほとんどなく、非常に快適なエリア第1級のゴキゲン山岳ルートだが、逆にたまに来る対向車の処理が面倒くさく気が抜けないところだ。
刈場坂峠を越えそのまま今日の旅の折り返し地点、堂平天文台まで峠を二つ三つ縦走した。峠とはいえ尾根上の林道で起伏の連続だが、高低差は100mほどで大したことないし標高700〜800m付近で下界より5度ほど気温が低く快適だ。
堂平天文台(1962-2000)は91cmの日本光学謹製の主望遠鏡を装備し東京からのアクセスの良さと晴天率の高さで日本の天体観測事業を支えてきた頑張り屋さんだった。しかし高度経済成長での首都圏の膨張による観測環境の劣化、その他予算削減のあおりを受けて2000年に閉鎖された。僕は観測ドームとなりの堂平山山頂の広場で仰向けに寝ころんで空を見上げた。トンボが空を舞っている。雲に合間に青い空と太陽が覗く。サイコー。
十分に休憩をとり後半戦に向かった。刈場坂峠に戻り、奥武蔵グリーンラインの下りだ。静かな稜線上の一本道の林道は非常に快適だ。ここでも空気読まない自動車がたまに登ってくるので気は抜けないぜ。途中、自転車をデポして関八州見晴台へ登った。その名の通りの見晴らしが広がっていた。
奥武蔵グリーンラインを下りながら顔振(こうぶり)峠を過ぎ国道299号を案内する看板が見えてくる。その三叉路を左に折れ林道権現堂線に続く、そのまま鎌北湖経由で毛呂山町まで走るのがセオリー。しかし僕は以前たまたま見つけた未攻略の激坂林道倉松線に再度取り付いた。ストラーバでは全長0.94km獲得標高139m単純計算で平均勾配14.8%、最大勾配23.5%という斜度に加え一車線のコンクリート舗装にセンターには苔がむしており難易度は超一級だ。今回もあえなく途中で敗退。押しながら登った。おそらく一生登りきれることはないだろう。
思いつきで高麗神社へ寄ってみた。なぜ高麗川とか高麗神社とか朝鮮に由来すると見られる高麗という地名があるのかふと気になったためだ。高麗神社のパンフレットで理解した。668年に滅亡した当時の大国「高句麗」からの亡命者が日本に移り住んだ。そして大和朝廷は716年に1799人の高麗人を未開のこの地に入植させ高麗王若光を首長とした。彼の子孫が現在まで続き宮司を務め、60代続いている。現代に置き換えてみるとインドシナやパレスチナ難民だ。国を失い外国へ亡命。時の政権より未開の地に集められ入植地としたのが現在の日高市だ。高麗神社は思ったより人気のようで参拝者が絶えなかった。
高麗川駅前の定食屋で生姜焼き定食と生ビールを注文しライドのシメとした。このエリア随一の山岳ステージを楽しめた幸せを噛みしめた。そして14:30発の八高線で家路についた。単線の先にはまだまだ夏の空が広がっていた。
奥武蔵グリーンラインマップ
ルート(林道松倉線回避)
ルート(林道松倉線)