銀輪日報

本と自転車旅とB級グルメ

ソルマーノの壁@イタリア・コモ県 (190630)

2019.06.30 51.2km 

 

サハラの熱波が欧州大陸を覆う。連日の記録的猛暑がニュースを賑わす。コモ県は快晴、気温がどんどん上昇していく、屋外活動には危険な暑さだ。それでも僕はビアンキマンハッタン号を駆り世界屈指の激坂、ソルマーノの壁に取り付いた。細い坂道が雲ひとつない空に向かって伸びる。ペダルを踏みしめふらふらと高度を稼いでいく。そしてとうとう1107mの頂を踏んだ。そこに紙吹雪や表彰台があるわけではない、しかし静かな達成感があった。

   

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ソルマーノの壁。イタリアのヒルクライマーの聖地だ



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何書いてあるかさっぱりわかんねけど。頑張れって言ってほしい

 

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1949年ローマ法王により正式に認められた由緒正しいサイクリストの聖地、ギサッロ教会

 

 

 

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スミソニアン航空宇宙博物館別館 (190505)

 

 

一世一代のアメリカ旅行もいよいよ最終日。小雨が降る肌寒い朝だ。ランファンプラザ駅まで地下鉄に乗り、そこからメトロバス路線5Aに乗車した。乗客は数人で途中乗車もなく意外とスムーズに運行された。市内を抜けると高速道路にはいり大きな国防総省の建物が見えた。今まで何度も映像で見たが実物は初めてだ。アメリカに来たことを実感した。バスの窓から何度もシャッターを切ったが残すべき写真は取れなかった。

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ワシントンDC地下鉄。核攻撃もへっちゃらだぜ。
小一時間でダレス国際空港へ到着した。16:45発のUAサンフランシスコ便の搭乗手続きを済ませ荷物を預け少し身軽になった。案内所のおばあさんは丁寧にウドバーハジーセンターへの道順を案内してくれてぜひ楽しんでね。と感じの良い対応をしれくれた。Fairfax Connectorという専用バスで15分ほどでとうとう憧れのスミソニアン航空宇宙博物館別館に到着した。

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日曜の朝のスカスカ5Aバス
 
 
巨大なかまぼこ型の館内は面積71,000平方メートルと、東京ドームのグラウンド5.5倍の大きさだ。まず目玉の展示物の人類史に残るだろう広島への原子爆弾投下作戦を実行したB29エノラ・ゲイ号がどんと中央に鎮座していた。その巨大な銀色の翼の下に、晴嵐とか、紫電改、桜花などの日本軍機がひっそりと展示されている。敗戦国民としては若干複雑な感情はあるが気持ちは理解できた。

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人類史に残るB29エノラ・ゲイ
そして東西冷戦の傑作、ぶっ飛んだスペックを持つロッキード社謹製SR-71ブラックバードだ。高度25000mをマッハ3.3で敵国上空の成層圏を我が物顔にかっとぶ最速のジェット機。空気摩擦による熱膨張を考慮した設計で地上での待機時にはスキマから燃料が漏れ出してしまう。フライトスーツは与圧され素人目にはほとんど宇宙服だ。ぜったい男の夢の職業の一つだ。
館内の奥の方に、20世紀後半の米国の宇宙活動を支えたスペースシャトルの第三号機ディスカバリー号が展示されていた。その後ろには大きな星条旗。米国の威信が満ち溢れていた。

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耐熱パネルが剥がれ過酷なミッションを物語る

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ロケット野郎バカ一代、ブラウン博士のナチス時代の傑作、V2ロケット。1944年9月8日ナチスのV2ミサイルがロンドンを襲った。その日彼はこう言った『ロケットは完璧に動作したが、間違った惑星に着地した』。ロケット開発への情熱を持ち続け1969年7月20日、彼が開発指揮したサターンVロケットにより人類を月に送り込んだ。
【旅のメモ】
ワシントンDC市内から1時間半ほど。バスで片道$9.50 (空港まで$7.5+$2.0)。見学の所要時間は2~3時間。できれば、ダレス空港15時発以降の飛行機を予約しその日の朝イチで空港に向かいチェックインを済ませたあとの開門10時~見学というのが効率が良い。航空宇宙科学に特に思い入れなくても訪れる価値のある場所だ。入場は無料。寄付金は任意。

 

尾根幹~城山湖~湯殿川サイクリングロードと日野オートプラザ

2019.10.26  

 

やっと天気の良い週末だ。こころなしか交通量が多い尾根幹は行き場を失った多くのサイクリストでごった返していた。その多くは尾根幹と小山田周回コースへ進んだ。途中冠雪した富士山が青空に浮かんでいた。季節が進んだなぁ。なんだかんだ言ってお天道様の元のサイクリングは気分がいい。戦車道路から城山湖を目指した。

 

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僕はいつもどおり16号の御殿峠を越え、横浜線沿いの東京造形大学前の田舎道を進んだ。穴川林道から城山湖を目指す。特に台風や大雨の爪痕はなかった。城山湖のあずま屋から遠く筑波山が望めた。あらためて季節が進んだことを実感した。小松川沿いのルートは通行止めだ。久しぶりに雨降林道を通ってみた。短い急坂の途中に立つ勾配22%の標識を見た途端、足だめしをしたくなり登り返した。フラフラしたものの足つきはなく攻略成功。

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遠く筑波山が見えた

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22%の標識を見たらチャレンジしないとね


そして元きた道をたどっているとローディから声をかけられた。この辺に良いトレイルがあると。マウンテンバイク乗りの掟に従いネットでは晒せないが初めての良質なトレイルだった。蜘蛛の巣引っかかりまくりながら久しぶりのオフロード走行を堪能した。こういう情報をいただけるのは大変ありがたいことだ。絶滅危惧種のMTBerとして僕も積極的に情報交換していこう。マウンテンバイクの醍醐味を久しぶりに思い出した。

 

 

帰り道は、超久しぶりに湯殿川~浅川沿いにした。

 

途中日野オートプラザに寄った。歴代の名車やエンジンが並ぶ良質な企業博物館だ。見どころは、パリダカ仕様の日野レンジャー、1991年の初参戦以来28年連続完走しているタフな日野自動車の誇りだ。そして大英博物館にもツウな多摩ナンバーで収蔵されている名車、日野コンテッサ900。さすが世界中から分捕り品をかき集めている天下の大英博物館。キュレーターの質の高さに感動したものだ。そして黎明期のエンジンコーナー。貴重な戦前のエンジンが惜しげもなくカットモデルで展示されている。技術革新に挑み続けるHINOスピリットを垣間見た。

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日野ルノーコンテッサ、こんなのやってたんだ

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中島航空機製「光」エンジン星型9気筒、650馬力。排気量32600cc


湯殿川から浅川サイクリングロードは快適、水量は多いが特に災害の影響はすでにない。そして新選組のふるさと歴史館に立ち寄った。これはハズレ。いわゆるハコモノ。展示物は古文書とパネルを中心に幕末から箱館戦争土方歳三が戦死するまでの歴史を振り返る。銃器類が3点ほど。後は腕章とか少々。僕には収蔵物が物足りない。博物館のテーマに沿ったゆかりの品物をもっと集めて展示してほしいものだ。それでも新選組ファンの観光ルートとしては定番なので結構お客さんで混み合っていた。

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日野宿本陣、タタミでゴロゴロしたい

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次に新選組観光の定番、日野宿本陣を訪問。資料によると甲州街道45宿に残っている本陣はここと、小原宿(相模湖町)、下花咲宿本陣(大月市)の3つのみ。ここはアタリ、歴史を感じさせるホンモノだ。新選組の主要メンバーが稽古に励んだ道場が同じ敷地にあったということだ。そこから石田寺により土方歳三の墓参りをし、石像のある高幡不動にも寄った。なにかアニメとコラボの幟がアチラコチラに立っていた。地味な題材だと思うが、女性の二人組みで巡る人たちがちらほら見えた。歴女ってやつ。若くして歴史の間に散っていったというストーリは惹きつけるものがあるテーマなんだ。正直それほど思い入れのない僕にとっては意外な発見だった。

 

シメに地域屈指の激坂の百草園に取り付いた。頂上付近は雨降林道の22%の勾配よりきつい感じだが、ま、無事攻略完了。余裕かまして川崎街道をまっすぐ裏連光寺坂をぶっちぎり帰宅した。味気ない定番のトレーニングコースをなんとかやりくりしてバリエーションコースに仕立て上げた感じだ。でも冬場向けのコースだ。やっぱ、ちょっと物足りない。寒くなりすぎる前にヤマいきたいなぁ。という気持ちが少し残った。

 

www.hino.co.jp

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www.city.hino.lg.jp

 

jitensha-hoken.jp

 

 

廃道をゆく奥多摩編(松姫峠1250m~風張峠1146m)

2017.05.20 120.87km 

 

青と初々しい緑が目に優しい最高の季節だ。四季があるって幸せなことだ。3年ぶりの松姫峠アタック。時間のたつのが早い。2014年末松姫トンネルが完成し峠道は通行止めになった。このまま廃道化?完抜けできるかどうか不明だがヤバければ引き返せばいい。これぞマウンテンバイクの醍醐味だ

 

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奈良倉トンネルのゲートの脇を抜けて通行止め区間に入る。トンネルの中は漆黒の闇だ。平衡感覚を失いそうで結構怖い。そこを抜けるとあとは峠まで1.5車線くらいの細道を延々と登るだけだ

 

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トンネル抜けてぐるっと回って上の道へ。考えたやつすげえ

 

2年以上閉鎖されている割には道路状態は良好、たぶんバックアップ用ルートとして最低限の維持管理は行っているようだ。路面に小石や枝がちらばるも冬季明けからすくなくとも一度は路面清掃しているみたいだ。しばらくは大丈夫だろう

 


トレイルのその日の朝一の訪問者になった場合によくあるようにやたら蜘蛛の巣に引っかかる。深城ダムで雑談し松姫峠を目指しお先に失礼と、先行した同業者は松姫トンネルを抜けたんだろうか?完抜けできるかちょっと心細くなったが、とにかく俺一人エクスクルーシブ感たっぷりだ

 

旧道区間は通行止めなので当然車はバイクは通らない。静かな山道を淡々と上る、鳥のさえずりや渓流のせせらぎだけが聞こえる。ブライアン・イーノも裸足で逃げ出す良質のアンビエントミュージックだ。病んだ心が快方に少しだけ向かった。通行止めによりチャリ乗りには最高の峠と化していた。眺望、達成感、雰囲気最高ランクだ。ただし登りのみ。下りは路面状態に気を使いそうだ

 

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取り付きがはるか下に見える

 

小菅村で道の駅によってみた。観光案内をもらって地図を眺めていると奥多摩周遊道路まで近い。足に余裕もあるし天気もいい。このままかえるのは物足りないと東京都最高峰の風張峠を目指すことにした。途中で計画変更は珍しいことだ

 

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だんだん暑くなってきたが休み休み攻略完了。五日市まで30kmの長距離ダウンヒルをこなす。楽チンな下りでまさかのハンガーノックに。足が止まる。都民の森でなんか補給しとけばよかった。フラフラの状態でコンビニたどり着き本能の求めるままカップラーメンとおにぎりを食べた。電解質の補給を完全忘れていた

 

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奥多摩周遊道路の木陰で一休み

 

若干回復し残りの力を振り絞ってちんたら五日市街道、多摩サイ経由でなんとか自宅まで帰還した。いっぱいいっぱいだった。今日は補給計画のミスだ。夏季は電解質が必要だ。エネルギー補給用に駅前のスーパーで買ってきた定番の大福餅を何とか喉に流し込んだが気持ち悪い暑い時は食えたもんじゃない。クッキーにも手を付けなかった。夏期は塩味系、冬季は甘味系の補給食がいいのか

 

【バリエーションルート攻略プラン】

松姫峠から牛の寝通り(オフロード稜線)大菩薩峠まで15km。塩山へ抜ける。晩秋にチャレンジ。敗退ルートは、奥多摩駅へ向かう設定
鎖場などFS必須。夕暮れとの勝負の可能性考慮。オフなので温泉/銭湯準備必須。難易度高そうなのでしっかり準備。途中コンビニない

 

 

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鏡泊湖と牡丹江 (181107)

 

鏡泊湖。中国国家重点風景景勝区だ。約1万年前の火山噴火による牡丹江のせき止め湖。身近な例では山中湖と同類だ。現在は風光明媚な夏の避暑地として賑わうとのことだ。

 

 

この湖のほとりに1933年満州国(1932-1945)文教部認可第一号の鏡泊学園が開校した。その理想は「大亜細亜主義を抱懐する青年を陶冶鍛錬し、満州建国の理想成就に献身すべき模範的人材を養成する」というもの。第一期生として200名が国士舘中学校から入学した。経営は思わしくなく匪賊により設立者含めた主要メンバーが殺害されたこともありわずか三年で閉鎖された。

 

1929年のウォール街大暴落に端を発した昭和恐慌により多くの農民が困窮に苦しんでいた。約27万人が満蒙開拓団として移民した。敗戦間際のソ連軍の侵攻と逃避行、敗戦の混乱で8万人が死亡した。

 

多くの開拓民は長野県出身で日本で唯一の満蒙開拓専門の記念館があるとのこと。

 

 

僕は11時間の大陸横断フライトで登場していたルフトハンザ機から凍てつく大地を見つめていた。特徴的な地形に後で調べてみようと何気なく写真を撮った。

 

鏡泊湖の歴史をほんの少し学んだ。そんな物語があるとは夢にも思わなかった。そして11月初旬に凍てつく大地の写真を見返し当時の苦労が少しわかった気がした。

 

知ってか知らずかこんな厳しいところに夢を託して移民せざるを得ないほど貧しかったのか。

 

 

僕はいつも新しい世界を見たいと思ってきた。そう思えること自体が幸せだということに気がついた。

 

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右上部に、渤海国(698〜926)の首都・上京龍泉府が置かれた渤海鎮という村が見える


 

フライトパス

ja.flightaware.com

グーグルマップ

シュマン・ランニングトラック、セントラルパーク Run 3.1km (190501)

 

 

夜明け前の地下鉄に乗って後悔。評判通りガラが悪い。車内はワークブーツジーンズと黒のパーカーでキメた労働階級の英雄のゴツいアフリカ系のアンちゃん達でごった返す。残りはネイティブと冴えないヤンキーが数人。中国人は俺だけだ。煮ても焼いても美味しくない俺を襲う奴なんかいるもんかと強がりつつもしっかり目を合わせないようにiPodに聴き入る振りをして息を殺した。

 

市民憩いの貯水池周回コースは大きく空が開け開放感がある。しかしその分単調だ。ランナーとしては皇居周回コースのほうが景観的にもトレーニングコースとしても良く起伏にも飛んでいて楽しいと思った。満開の桜咲く周回コースを一周だけして早々と聖地ストロベリーフィールズへ向かった。

 

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禁断の犬越路林道

2014.04.07 77.1km 

 

新松田~神奈川県道76号線~国道413号線~橋本

 

 

天地の営みは、人々の優先順位決定に大きな影響力を持つ。今日はたまたま別件で有給を取得済み。しかし、本日の天気予報快晴、降水確率0%、と知るや自問自答。今日が人生最後の一日だとしたら何をしたいか。迷わずヤマに行く。たまには自分の好きなように決断しよう。

  

春先の標高950m越えの本格山岳ステージ、いつになく準備を慎重に行う。ドイターの30リットルのザックに、雨具、ファーストエイドキット、エマージェンシーシート、ヘッドライド、ライター、エスビットなどハイキング装備を突っ込んでおく。ハイドレーションシステムは1.5リットルでいいだろう。単独行のためGPSのルーティングをしっかり行っておく。

  

コンビニで朝食用に菓子パン2個、甘いパックコーヒ500ml、行動食用におにぎり2個、烏龍茶、ナッツとチョコを買っておく。非常食用にでチョコとビスケットも買っておく。当然個別包装は捨てておき、持参のビニール袋に詰め直す。

  

5時49分登戸発、急行小田原行きの先頭車両を占拠。下り故か余裕で座れる。本厚木を過ぎると日本の正しい風景が視界に転がり込んでくる。ところどころで観測可能な富士山が大きい。快晴の空に映える。鉄オタ成分を増加させ、運転台越しに何枚か写真をとっておく。6時48分新松田駅到着。意外と乗降客が多い。折角だから駅名票を撮影しておく。

   

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改札を出ると、和食、マニラ食堂がどうしても目に入ってくる。このロックンロールな食堂を背景に是非記念撮影をしておきたいと、輪行袋を開梱し自転車を組み立てながら横目で状況確認を怠らない。しかし、クルマの乗車待ち合わせ場所になっているようでスキが見当たらなかった。仕方ないので、遠景のみ撮影しておく。

 

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和食マニラ食堂、ぜひその味を堪能してみたい

 

新松田から谷峨まで基本は246号。このへんだと交通量もマイルドでぎりぎり走る気がする。40分ほど走り、清水橋交差点着、ここを右折すると本日のメインコース76号を北上できる。河内川沿いに粛々と標高を稼ぎながら20分ほどで丹沢湖三保ダム(1974年~)着。スペック表を確認しておく。高さ95mのロックフィルダム。機能は水源確保、治水、水力発電。ダム頂標高325m。ダムの下流側の傾斜は緑に覆われ、環境に調和している。中川温泉までは地元の軽自動車が走っていた。ぶなの湯をすぎるともう車の往来はない。

 

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246と酒匂川

 

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美しく映える丹沢湖

 

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丹沢名物箒杉

  

約30分で箒杉着、推定樹齢2000年。この木が発芽した頃、キリスト様は中学生。西洋ではローマ帝国、東洋では後漢、日本では弥生時代。雷にも撃たれず、何回かあったであろう富士山の噴火をよくたえぬいたもんだと感心。西丹沢自然教室着、思ったより車が止まっている。ウロウロして情報を収集、昨日の情報だが大室山山頂積雪30cm。谷筋に残雪。まぁ、大したことないだろうと高をくくる。

  

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9時過ぎに例の山岳ステージの取り付きに到着。標高800mを越えるとさすがに北面の谷筋に積雪が残るなぁ、とキコキコ自転車漕いでいるといきなり落車。痛えマジ2~3分動けねえ。状況確認を行ってみると、路面の凍結によりいきなりグリップを失い転倒。幸いなことに怪我、車体へのダメージなし。何事も無く本当に良かった。10時前に例の隧道前へ到着。手前に富士見橋なるものあり、名前の通り富士山が美しい。東屋は崩壊している。よく観察すると、新しい焚き火の残骸およびゴミが残り誰かが野営したものと思われる。こんなところですごいなぁ。

 

ここで行動食のおにぎり、ナッツとチョコを補給。下りに備え、ウインドブレーカーを着こむ。目が慣れないくらいトンネル内を慎重に進む。意外と路面状態は良い。トンネルを抜けると、そこは絶景が広がる。正面左手には大室山、見下ろせば、神ノ川渓谷。奥には道志山系。すばらしい、後は慎重に下れば12時には橋本へ戻れるだろうと目論む。

 

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北丹沢はそれほど甘くない、押し・カツギで乗り越えなければならない雪渓がいたるところに残る。29erでフレームXLはカツギには重すぎる。一体何キロあるんだ?。ゲートまでの8.7kmに70分を要す。

 

一箇所本格的な雪渓。幅30メートル。よく観察するに雪崩の危険はないが、滑落すると100mは流されそう。慎重に一歩一歩を刻んで進む。シマノのマウンテンバイク用SPDシューズで来たことに感謝しながら、ハイキングステッキを一本ザックにさしておけばと後悔する。こういう場所での単独行は心細いが、ガーミン製の高性能GPSが現在地を±5mの精度で教えてくれるので慰めにはなる。

 

 

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ところどころ、キジが落石を発生させるので上方にも注意が必要。雪渓は標高600m付近まで観測された。おそらく政令指定都市で最も困難な道であろう。正直、想定の範囲外の困難さであるが、これくらいの雪渓やガレ場は経験済みのため、時間さえかければ無事に下山できるという自信は揺るがない。でもカロリー収支は大幅にマイナス。腹が減ってきた。でも非常食には手を付けないのがマナー。

 

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舗装路まで降りてくると、春の陽気につつまれた山里風景が心地よい。下り基調の道志みちを橋本方面へ向かう。途中コンビニでマヨネーズこてこて唐揚げ弁当を主食に1500kcal以上補給し一息つく。津久井までは車も少なく快調にかっ飛ぶ。実用巡航速度30~35km/h。津久井から先はまぁ、いつもの感じ、京王線頑張って津久井まで延伸しろよと願う。湖畔は桜が満開。そのまま神奈中バスを抜きつ抜かれつ413号を橋本駅まで。1時過ぎに到着。

 

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道志みちをのんびりと流す


 

メンドクサイから橋本から輪行で帰宅。タイオガの輪行袋は大きくて使いやすい。梱包・開梱それぞれ10分以内に完了できる。タイヤを前後外すので正しい使い方ではないが、良い買い物だった。77.1km。6時間強。ダート成分7%。ただし押し担ぎがほとんど。

 

西丹沢ビジターセンター

http://www.kanagawa-park.or.jp/tanzawavc/index.html