ナチ党員オスカーシンドラーは戦時経済下のどさくさにま
工場従業員は金儲けのための労働力。最初はそんな感じで
戦後はその輝きは衰えた。敗戦時に残った財産を皆に分け
私は一人シオンの丘で彼の眠る墓標を見下ろしていた。そ
参考文献
『救出への道』ミーテク・ペンハー
『シンドラーズリスト』トマス・キリーニー
『夜と霧』 ヴィクトール・フランクル
所在地(Google Map)
所在地(シンドラーの晩年のアパート, Street View)
ナチ党員オスカーシンドラーは戦時経済下のどさくさにま
工場従業員は金儲けのための労働力。最初はそんな感じで
戦後はその輝きは衰えた。敗戦時に残った財産を皆に分け
私は一人シオンの丘で彼の眠る墓標を見下ろしていた。そ
参考文献
『救出への道』ミーテク・ペンハー
『シンドラーズリスト』トマス・キリーニー
『夜と霧』 ヴィクトール・フランクル
所在地(Google Map)
所在地(シンドラーの晩年のアパート, Street View)
パリの地下鉄路線図は非常に見にくい。久しぶりにオレは色弱であることを思い起こした。普段殆ど意識することがないのは、配色時に色覚異常者への配慮もされているんだろうなぁ。おしゃれさんのデザイン先進国にしてはわきが甘いぜ。
地下鉄に乗り込むと、迷彩服にごつい突撃銃をぶら下げたその筋のアンちゃんが周囲を威圧していた。なんかあったのかとちょっとビビった。ばかでかい軍事博物館は制服や拳銃、ライフル、迫撃砲などの小型歩兵武器がメインだった。ナポレオン廟もこれまたばかでかく、英雄が眠るにふさわしい巨大建造物だ。
帰りの地下鉄ではおっちゃんがなにやら演説を始めたり、乞食が小銭をせびりにきたり、ギター弾きが歌い始めたりとなかなか自由気ままに好き勝手な雰囲気だ。その自由を担保するための必要悪として戦いの歴史があり、そしていまでも軍事力、武力が必要なんだろうなぁ。と哲学的におもいをめぐらせながらどんよりとした雨空のもとトボトボと宿へ向かった。
軍事博物館(パリ) - 日本語
https://www.musee-armee.fr/jp/home.html
軍事博物館(パリ) - 所在地
2018.09.18
シャルル・ド・ゴール空港からパリの京浜東北線RER B線で市内へ向かって後悔した。各種媒体で注意喚起され
ただ便利な路線であることは確かで比較的治安の落ち着い
時差ボケを引きずったまま小さすぎて疲れるベッドの上で
一仕事を終えると腹が減った。もって来たカップラーメン
故障ばかりで稼働機材がなく駐輪場を3軒はしご。やっと
北駅からは350番路線のバスに乗車。昨日のB線と同じ
なぜかルブルジェ航空宇宙博物館も今日はタダ、郊外でア
ちんぷんかんぷんなフランス語の解説を必死に眺めわかっ
ベッドに横になって読みかけの電子書籍でも続けようかと
週明けの朝3時起床。やることなさすぎて夜明けが待ち遠
ル・ブルジェ航空宇宙博物館
https://www.museeairespace.fr/en
所在地(Google Map)
https://goo.gl/maps/ZGomiJKejMoszuodA
Velib (パリのシェア自転車)
https://www.velib-metropole.fr/en_GB
https://www.strava.com/routes/21668925
1944年9月8日ナチスのV2ミサイルがロンドンを襲
V2は自律航行型弾道ミサイルでナチスの超ハイテク兵器だった。しかし、その開発には湯水のように資金を費やし、米国の原子爆弾開発計画マンハッタンプロジェクトと同様の約2.5兆円が使われた。積載量1,000kgで射程距離320kmのそのミサイルは科学的には非常に優れたものであったが、戦略的にはほぼ意味がないものでありナチスの劣勢を覆すことはできなかった。一方対日戦に使用されたマンハッタンプロジェクトの成果物である原子爆弾は約5トンの重量があるがB29によりテニアン島から2,400kmの距離を運搬、投下された。戦争とは外交の一形態である。それぞれのプロジェクトが成し遂げた政治的効果はその後の国際政治史に複雑に絡み合った。
結局彼がナチスのもとで取り組んだプロジェクトは時代を先取りしすぎたのだ。結局ロケット技術は、核兵器の優れた運搬手段として大陸間弾道弾の米ソ間での開発競争や、月への有人飛行計画として昇華していく。
ドイツの敗戦が濃厚になる頃、ブラウン博士は開発資料とサンプルをまとめ米国への亡命を図った。米国ではその経歴から白眼視された。ナチの科学者であり、そしてその裏切り者であると。倒産寸前の企業の開発部長が部下とともにライバル企業に転籍するようなものだ。それでもロケット開発への情熱を持ち続け1969年7月20日、彼が開発指揮したサターンVロケットにより人類を月に送り込んだ。
14歳の時に出会った本に感銘を受け、宇宙旅行に憧れ続け、時には戦争に非協力的だとゲシュタポに拘束されながらも43年間諦めずについに夢を成し遂げた稀代のロケット野郎バカ一代、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士の傑作を含め質の高い収蔵品が展示されているロンドンのサイエンス・ミュージアムを訪れた。
産業革命の国らしく入り口は、やはり蒸気機関を集めたエネルギー・ホールから始まる。そしてその奥には宇宙開発コーナーだ。さらに自動車や機械や放送機器などの現代に至る技術史の展示。ボクの嗜好にピッタリの内容であっという間に時間が過ぎてしまった。一人でぶらりと博物館を訪れて興味の赴くままじっくりとそのコレクションを鑑賞する。なかなか贅沢な時間の過ごし方だ。
僕がちびっこの頃、夏休みの宿題で図書室から借りてき
サイエンス・ミュージアム
所在地(Google Map)
1919年フランス陸軍のフォール大佐を招聘し黎明期の航空技術の教えを受けた所沢陸軍飛行学校の跡地に建つ所沢航空発祥記念館。開館より20数年の月日が流れいい感じに枯れた施設だ。僕のようなニワカはまったくおらずのんびりと思うがままに展示物を鑑賞できる。
たまたま開催されていたワークショップに参加した。厚紙でブーメランを作った。お姉さん曰く『ブーメランもプロペラも原理はおんなじですよ。難しいことはわかんないけど。』という肩の力の抜けた優しい感じが好印象だ。冷静に考えるとコパアメリカの対合衆国戦でメッシがキメた神業フリーキックが曲がるのも、バカでかいエアバスのA380が宙に舞い上がるのも一緒な理論だ。
開館時期が古いのもあるのだろうが安易にマルチメディアに頼らず実機や模型中心の展示に加え丁寧で質の高いパネル解説はなかなか見ごたえがあり、訪れる価値のある博物館といえよう。ただ併設の大型映像館での上映展示はなぜか航空業界とはまったくカンケーねー、「深海の巨大モンスター『ダイオウイカ』」。企画担当者もネタが尽きたのだろうか。これだけはいただけない。
質は高いがコンパクトで滞在時間はゆっくり回って1〜1.5時間。多摩湖CRもしくは入間川CRと組み合わせて休憩兼ねてのコース設定がおススメだ。
ルート
https://www.strava.com/routes/21558715
所在地(Google Map)