銀輪日報

本と自転車旅とB級グルメ

エルサレム・シオンの丘にオスカー・シンドラーの墓を訪ねる (161209)

ナチ党員オスカーシンドラーは戦時経済下のどさくさにまぎれ軍需で一財産築いた小悪党。若え頃は単車レースに出たり、セールスの仕事をしたり、スパイ活動で死刑判決を食らったりプラプラするが、一旗揚げるべく30歳で工場を手に入れ会社経営を部下に丸投げし飲む打つ買う三拍子そろったしょーもない遊び人。袖の下を掴ませ、女をあてがい、闇市から仕入れたいい酒飲まして軍高官をたらしこみ大儲け。自身も女をとっかえひっかえ遊びまくり。生涯長身にダブルのスーツでキメる伊達男。ぶっちゃけ羨ましいぜ。


工場従業員は金儲けのための労働力。最初はそんな感じで事業に邁進するが、数え切れない理不尽な死と隣合う日常に流されることなく、優しさと強い意志と勇気で一方的に虐殺されていく人々に救いの手を差し伸べた。最終的に全財産と持ち前の要領の良さで結果1200人の命を救ったのだ。この時37歳。大したもんだぜ。

戦後はその輝きは衰えた。敗戦時に残った財産を皆に分け与え、また自身の逃走資金も準備し、結局無一文となった。アルゼンチンに移住してみたり、帰国して再起を期すも失敗続き。妻とも疎遠となる。晩年は彼が救助した人々の有志の経済的支援を受けながらフランクフルト中央駅前の安アパートでひっそり暮らした。非国民的ふるまいと見なされ、石を投げられたり、すれ違いざまに舌打ちをされたり、やじられたりもした。生き残りメンバーを頼り年の半分をテルアビブやエルサレムで名士として陽気に遊び暮らし、あとの半分はフランクフルトで陰気くさく引きこもって暮らし、そして年中金に不自由していた。1974年の死後、自身の希望どおりエルサレムカトリック墓地に埋葬された。

 

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小石を乗せるのは墓が風化しないようにとユダヤの風習だ



私は一人シオンの丘で彼の眠る墓標を見下ろしていた。それほど大きくもなくいたって質素な普通の墓石だ。墓が風化しないようにというユダヤの習慣にならったのであろう多くの小石が積み上げてあった。標高800m近いこの丘に吹く風は冷たかった。でも、ぬけるような濃い青空に高く浮かぶ太陽からは暖かい光が降り注いでいた。



参考文献
『救出への道』ミーテク・ペンハー
シンドラーズリスト』トマス・キリーニー
『夜と霧』 ヴィクトール・フランクル

 

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チェコ・スコダ製タクシーの運ちゃん。メーター倒さないと強情はるので複数のドライバーに粘り強く値切ったら、ブツブツ5分位アラビア語で文句言いながら不貞腐れていた。態度悪くちょっとムカついてくるが中東での交渉は強気が基本。カモるかカモられるかの世界。 で、今までの非友好的態度を棚に上げ突然、『マイ・フレン。どこから来たんだ?』と始まった。でた。俺はテメエの友人でもなんでもねえぞ馴れ馴れしくするんじゃねえ。そして、この手の話は十中八九、『女いるか?』という質問形で終わる。お前が紹介できるような場末の売春宿の冴えねえ女なんかいるか!で料金にオマエの取り分も含まれているんだろ?アホくさとか考えていると。ふと今朝仕事のメールにメキシコのことが書いてあったのを思い出した。行ったことなんてねえがどうせコイツには分かんないだろう。 『オレ?メキシコ。ティファナって街。知ってる?電気関係の仕事で来てんだけど寒いねここは。今日はボスの家に夕食お呼ばれされてんの。ところでお前スペイン語話せる?』と煙に巻いてみると黙り込んだ。ざまあみやがれ。 煮ても焼いても食えないヤツだと思ったんだろう。あきらめて誰やらと携帯電話で話し始めた。目的地についてもずっと電話中。どうでもいいけどさっさと釣りよこせよ。びた一文チップとしてくれてやるかと督促し、釣りを受け取りさっさと車を降りた。

 

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エルサレムに多いアルメニアの女の子

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殴られる前に殴っちまえ。仁義なき戦いが続くパレスチナ紛争。1967年の6日間戦争でヌケ作のヨルダンからブン獲った嘆きの壁。19世紀ぶりにユダヤの手に奪還。六芒星の旗立ててがっつり領有権主張しとかないとな。

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エルサレム旧市街の治安維持活動を行うイスラエル警察ホーリープレイス分隊。小柄な女性にも扱いやすいM4騎兵銃武装はバッチリ。この街では銃は水平に構えておくのが基本。エルサレムムスリム地区、アル・ワッド通り

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イスラエル科学技術宇宙省によるどうだすごいだろう展示。ベングリオン空港出発連絡口

 

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入り鉄砲に出おんな。イスラエルの関所は出国のほうが厳しい。例によってオマエこっちと根掘り葉掘り検査を受ける。すべての持ち物に念入りに爆発物検査を行なう。ここまで徹底した保安検査があると逆に安心だ。

 

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シンドラーが晩年を過ごしたアパート@フランクフルト中央駅前

 

所在地(Google Map)

 

 

所在地(シンドラーの晩年のアパート, Street View)

 

西多摩三林道自転車縦走(盆堀~醍醐~栃谷坂沢線)そしてラピュタ坂敗退

2019.09.15 115.6km +2052m 
 
季節が進む。のど越し爽やかな端麗辛口な朝の空気が日に日に美味しくなってきた。朝日溢れる多摩サイを西上した。丹沢山塊、奥武蔵山塊の稜線が黒く青空のもとくっきり浮かぶ。マウントフジもその勇姿をうっすらと浮かび上がらせる。サイクリング・シーズンの幕開けだ。早朝から多摩サイは思い思いのルートに向かう自転車乗り達が先を急いでいた。
 

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からっと秋晴れの朝
 
僕は睦橋から五日市街道をたどった。武蔵五日市駅を左折し、槇原街道へ入った。そのまま進めば風光明媚な奥多摩周遊道路だ。まだ早い。僕は1504年創建の子生神社を左折し盆堀林道に取り付いた。暑い季節は過ぎ行き、静かな早朝の盆堀川原を訪れるのは僕だけだった。キリリと冷たい川の流れで顔を洗って一息ついた。進むにつれ林道は、落ち葉、枝、落石で荒れてきた。先週末の台風の直撃を思い出した。それでも僕は淡々と漕ぎ続けあっさりと入山峠にたどり付いた。そこからは夕焼け小焼けの里、恩方へ向かってのダウンヒル。路面は荒れていて気を使った。風張峠へ向かう前に少し足を削っておこうというのだろうか、ローディーと何台かすれ違った。おはようございますと爽やかに挨拶を交わした。
 

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盆堀川の水は澄んでいる

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かつて路傍に打ち捨てられていたアメ車。今は撤去されてしまった

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あっという間に上恩方まで降りた。左に向かえば陣馬街道から和田峠へ。右に向かえば醍醐林道経由で和田峠へ向かう。僕は右折した。醍醐川沿いにグイグイと高度を上げていく。一般車両は通行止めで俺様専用林道状態。途中、林業従事者達とご苦労さまです。と山を愛する者通しさわやかに挨拶を交わした。その後は静かな林道を淡々と高度を稼いだ。いつものお気に入りの場所で小休止し高尾~陣場の稜線を眺めながらお茶で一服し、史上最強のアスリート向けスポーツサプリメント、バナナを補給した。味、値段、携帯性はバツグン、しかもバイオデグレーダブルで環境にも優しい。バカ高いネスレのパワージェルで粋がってた頃が馬鹿らしいぜ。
 

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先週の台風で随分荒れた

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和田峠までもうちょい
和田峠からは一気に藤野側へダウンヒル。まだ時間が早いので余興とばかりラピュタ坂へ向かった。平均斜度20%、最大斜度30%というまさに壁。マウンテンバイクのワイドギアをインナーローにおとして慎重に取り付く、狭隘で悪路面の超激坂をトラクションコントロールに気を使いながら進んでいくがあえなくバランスを崩しいつもの通り途中で足付き。なぜか心が折れてしまう。今日も敗退だ。しかし折角なので自転車を押して最後まで登った。
 

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熊野神社から鎌沢休憩所の先までがラピュタ坂だ

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凶悪な取り付き。一旦ここで止まりサドルを下げて戦いへ臨む

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いつもこの手前で敗退

 

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もしここまで登ってこれたらおめでとう。ゴールはもう少しだ
その後は沢井川沿いの県道522号線をしばらく道なりに快走する。そして左手に栃谷川が見えたところで左折。林道栃谷坂沢線に突入する。ここから先は小泉政権が拍車をかけた自己責任の世界だ。弱い者たちがさらに弱いものを叩き続けた結果、為政者に好都合の現在の非寛容社会の一丁上がりだぜ。僕はマウンテンバイク乗りだから自己責任上等、てめえのケツは自分で拭くぜ。
 
快適な山岳路を登っていくとまさかの法面崩落。立ち往生してしまう。こういう場合は落ち着いてまずは状況評価だ。マウンテンバイク乗りは粘り強く諦めないのだ。マウンテンバイカーの初期設定値は「無理でも進む。どうしてもだめなら諦めることを認める」とDNAの塩基配列に書き込まれているのだ。おもむろにスマホを取り出し現在位置の確認。峠まで後数百メートル。ここまで来ておいて回れ右は勿体ない。じゃ、決まり。進むしかない。まずは偵察とルート工作を兼ねて自転車を放棄して一人で進んでみる。幸い30mほど進めば崩落箇所は突破できそうだ。現状滑落やさらなる崩落の可能性は低いと評価した。慎重に進路を見極めながらまずは単身で突破してみる。OK。そして戻ってチャリを担ぎ上げて時間をかけて慎重にクリアした。どんなもんだい。
 

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来年まで無理かな。法面工事がいるよ
 
 
すぐに峠にたどり着きその後は、慎重に荒れたダウンヒルを下る。甲州街道だ。ラピュタ坂で感覚が麻痺してしまい余裕で大垂水峠を抜け八王子だ。そして浅川ゆったりロード経由で家路についた。
 

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快適なワインディングロード

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ラピュタ坂の後だと余裕だった

 

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@陵南公園

 

 GPXルート(2019/09栃谷坂沢線崩落確認、不通。状況確認必要)

https://www.strava.com/routes/21724618

ダッハウ強制収容所 Kz-Gedenkstätte Dachau (141115)

わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし、同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。 - ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧

 

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政治犯収容所として開設、200,000人以上が収監され、41,500人が殺害された

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Jourhaus 収容所正門

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点呼広場と管理棟

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バラックの跡と監視塔

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Barrack X. 収容者虐殺施設。 奥から、待機室、脱衣室、シャワー室と偽装されたガス室。火葬場、手前は収容所で死亡した遺体が積まれた部屋

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BRAUSBAD(独)=Shower Bath(英) 大量殺戮の「可能性の」あった場所。ガス室ではチクロンBという薬剤を用いて150人を20くらいで殺害した。なにかしっくりこないものいいだが、それぞれの真実が主張し合い、その後ろの事実は闇の中なんだろう。......ヴィクトール・フランクル『夜と霧』P74 - 到着したとき、わたしたちはくたびれ果てていた。ダッハウの支所にいた被収容者が、重要な第一報をもたらした。この小規模収容所には「かまど」がない、と。つまり焼却炉もガス室もないのだ。だれかが「ムスリム」になったとしても、ガス室に直行はさせられない、事前にいわゆるアウシュヴィッツへの病人移送団が編成されるということだった。ガス室直行という生命の危機に、かろうじて一呼吸おかれたわけだ。アウシュヴィッツの医師から、できるだけ早くアウシュヴィッツのような「かまど」のない収容所へ移れるといいな、と言われていたのだが、ありがたいことにそれがかなえられたと知って、わたしたちの喜びよう、驚きようといったらなかった。じつにいい気分だった。

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焼却炉、一度に3人ほどの遺体が焼かれた。手前で絞殺刑も行われた

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復元されたバラック

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 ダッハウ強制収容所公式サイト(英語)

www.kz-gedenkstaette-dachau.de

所在地(Google Map)

パリ軍事博物館(アンヴァリッド廃兵院) (160131)

パリの地下鉄路線図は非常に見にくい。久しぶりにオレは色弱であることを思い起こした。普段殆ど意識することがないのは、配色時に色覚異常者への配慮もされているんだろうなぁ。おしゃれさんのデザイン先進国にしてはわきが甘いぜ。


地下鉄に乗り込むと、迷彩服にごつい突撃銃をぶら下げたその筋のアンちゃんが周囲を威圧していた。なんかあったのかとちょっとビビった。ばかでかい軍事博物館は制服や拳銃、ライフル、迫撃砲などの小型歩兵武器がメインだった。ナポレオン廟もこれまたばかでかく、英雄が眠るにふさわしい巨大建造物だ。


帰りの地下鉄ではおっちゃんがなにやら演説を始めたり、乞食が小銭をせびりにきたり、ギター弾きが歌い始めたりとなかなか自由気ままに好き勝手な雰囲気だ。その自由を担保するための必要悪として戦いの歴史があり、そしていまでも軍事力、武力が必要なんだろうなぁ。と哲学的におもいをめぐらせながらどんよりとした雨空のもとトボトボと宿へ向かった。

 

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旅の始まりはここだぜ。@パリ・リヨン駅

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ici repose un soldat français mort pour la patrie — 1914 - 1918 ここに愛国心に散った一人の兵士が眠る @凱旋門からシャンゼリゼを見下ろす

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ルノー FT-17 軽戦車

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ホッチキス機関銃だ

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俺様ド・ゴール様がBBC自由フランス軍へ徹底抗戦を呼びかけたマイクロフォン

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歴史に残る暗号装置エニグマ。情報戦の始まり

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兵隊さんの持ち物セット。ガスマスクと地雷以外は俺らとそんな変わらない

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1940.06.18 無名のド・ゴール将軍はBBCを通してフランス国民に徹底抗戦を呼びかけた

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欧州列強が人の庭先で領土合戦を繰り広げる

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国際植民地博覧会1931@パリ さすが欧州の中華主義

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我が帝国は勇者が必要だ!

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合衆国陸軍は貴方が必要

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善悪は抜きにして歴史に残る著名な書

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戦争に勝つために芋を増産しろよ。というポスター。最強ドイツ軍も腹が減っては戦はできぬ

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ドイツ空軍が開発したブンブン爆弾V1号

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広島に投下されたリトルボーイの現物大レプリカ。こんな小さな爆弾が一つの都市を壊滅させた

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戦争は終わった。1945.05.08

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8 Mai - Victoire 1945 5月8日は今でも戦勝記念日で休日だ

 

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夜の無名戦士の墓@凱旋門から

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シャンゼリゼ通りから凱旋門

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パリ地下鉄

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シャルル・ド・ゴール空港ターミナル。近代的な空港ターミナルはガラスと鉄で似たりよったりでつまらないが、さすがオサレ国家だ。あまりの美しさに思わず写真に収めた

 

軍事博物館(パリ) - 日本語

 https://www.musee-armee.fr/jp/home.html

軍事博物館(パリ) - 所在地

 

 

velib’でパリを駆け抜けルブルジェ航空宇宙博物館へ (180918)

2018.09.18

 

シャルル・ド・ゴール空港からパリの京浜東北線RER B線で市内へ向かって後悔した。各種媒体で注意喚起されている通りガラが悪く居心地が悪い。民族衣装を着込み出自を誇りにする中東・アフリカ・南アジア系でごった返し聞いたことない言葉で溢れかえる。ジモティは仕事のなさそうな冴えないアンちゃんとイチャイチャするアバズレ。いろんな香水やら体臭がごちゃまぜでむせ返りそうだ。混雑で肌が触れ合うたびに殺気が湧いて来る。場違いに一人だけポツンといる中国人の俺はスミッコで息を殺した。夜間やスーツを着た状態での利用はやめておこう。 大人しく直行バスでモンパルナスへ向かうべきだ。ザクッと言ってしまえばパリの治安は東京と同じ。城南から時計回りに地価が下がっていく。そういうことだ。



ただ便利な路線であることは確かで比較的治安の落ち着いている住宅街の14区ダンヒュール・ロシャロー駅まで一本で行ける。日本でいう目黒区だ。クソ重いカバンをガラガラ引きずって10分程歩き投宿先についた。なんとか見つけたその三ツ星ホテルは狭くてボロくて料金に見合わない。川崎とか川口の様な郊外もまたオノボリには危ないということだし、さっき通ってきた東北部は相場は安いが治安は最低だ。二つ星以下は貧乏旅行者向け。結局目黒のこのボロ宿が俺に見合った場所だということだ。やってられないぜ。駅前の商店街は東急沿線といった雰囲気で中産階級っぽいリベラルでリラックスした空気に包まれていた。中国のオバさん経営の場末の経済飯屋で炒飯と豆腐そして青島啤酒を注文したら2000円もしやがった。

 

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実用写真の発明家が暮らしていたことにちなんでつけられたダゲール通り


時差ボケを引きずったまま小さすぎて疲れるベッドの上で日曜日の朝2時に目覚める。やることないから帰国までの日程を数えながら必要枚数の洗濯を始めた。安宿ではクリーニングサービスがないところが多いし、あっても日曜日はお休みだ。移動が多いと出す暇もない。出しても服が結構痛むし結局ロクなことはない。洗濯難民となった俺はクソ狭いバスルームで洗ったパンツを絞りながらふと見上げた天井の黒ずんだカビをみてそのまま首を吊りたくなった。狭い部屋の隅に置いてあったカバーが取れ羽根がむき出しの貧乏臭い扇風機を引っ張り出して早く乾くだろと風を当てておいた。

一仕事を終えると腹が減った。もって来たカップラーメンに水を注ぎ時間をかけて戻しながら交通公団謹製のなかなか良く出来たアプリを暇つぶしに眺めているとルブルジェ航空宇宙博物館なるもの発見!治安の悪い北駅からバスだがまあいいや。折角だからシェア自転車でバス停まで行くことにした。

 

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パリのシェア自転車velib’

 

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もはや説明不要



故障ばかりで稼働機材がなく駐輪場を3軒はしご。やっと見つけた俺様専用車でオノボリらしくエッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通りを抜け北駅へ向かうというわかりやすいコースを選択。石畳みは走りにくいが日曜の朝で道が空いている。秋を感じるピリッと冷たい風を感じながら気分爽快だ。やっぱチャリオタで良かったぜ。


北駅からは350番路線のバスに乗車。昨日のB線と同じく国際色豊かな乗客たちだ。ビッグファットママに、部族衣装、レゲエ、チンピラ、ジョージマイケル風の中東のオッさん。あとは南アジア系と煮ても焼いても食えそうにない濃い面々でマトモな奴は俺しかいないぜ。とは言え小銭を持ち合わせずテキトーな運転手にまぁいいから早く乗れよとタダ乗りしている俺もロクデナシだ。

 

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なぜかルブルジェ航空宇宙博物館も今日はタダ、郊外でアクセス悪いため観光客もおらず基本は地元のちびっ子連れのご家族くらいしかおらずじっくり見学できる。オタには嬉しいぜ。展示の目玉はコンコルドとミラージュ戦闘機など国産機材。核弾頭搭載可能な弾道弾ミサイルも誇らしげに展示されている。宇宙関連はイマイチ充実度が低い。宇宙開発史の金字塔ナチスのブラウン博士の傑作V2ロケットはなぜか出てこない。やはり嫌な思い出なのだろうか。

 

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夢の超音速機コンコルド(1969-2003)機内は狭く恐らく180cm以下でないと直立できない。ぶっ飛んだスペックに時代がついてこれず退役した

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ルデュック実験機(1949-1958)ラムジェットエンジン搭載の特徴的な形状をしている。ミラージュ戦闘機がコンペに勝ち残った

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ペイヤン pa 49 ケイティ 実験機 (1954-1958)

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ダッソー社謹製ミラージュIII.V(1965)垂直離陸の実験機 ノール1500グリフォン実験機(1965)ミラージュIII.A(1956)おフランスいずれもデルタ翼でエレガントなオシャレ感を演出

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地対地戦略弾道弾ミサイルSSBS(Sol-Sol Baristique Srategique)コマンドセンター(1971-1996)仏南部プラトー・ダルビオンからメガトン級の熱核兵器を何千キロも飛ばせるぜ

 

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ポテ53実験機(1933)3機のみ製造された

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Focke-Wolf FW190 Type A8

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ヴォストーク1有人モジュール。1961.04.12人類史上初めての有人宇宙飛行を成功させた。突起部が通信アンテナ,大きい球体が再突入モジュール当然中に人がはいる。周りの小さいタンクは窒素と酸素が充填されている

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ちんぷんかんぷんなフランス語の解説を必死に眺めわかったような分からんようなモヤモヤっとした気分で早々に3時間弱で一通り見終わり帰宅の途に着いた、市内行きは大渋滞。北駅周辺で空き機材を探すもなかなか見つからない。ようやく見つけた愛しのチャリに乗り一方通行ばかりで行きたい方向へなかなか行けず右往左往したがなんとか夕方前に宿に戻った。

 

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ベッドに横になって読みかけの電子書籍でも続けようかと思ったが、古アパートを改造したボロ宿の薄い壁で周りの生活音が筒抜けだ。全然落ち着かず字面を追うだけで頭に入ってこない。空調もない薄暗い部屋でじっとしていると憂鬱になって来たので気晴らしにちょっと出ることにした。行くあてもないので喫茶店に入りテラス席の小さなテーブルを見つけコーヒーとマフィンを注文した。通りを行き交う人々を観察しながらようやく落ち着いた。そして気づいた。この街でカフェが流行る理由はボロいアパートにいても鬱だし、かといって特に行くところもない、しゃーねえからコーヒーでも飲んでおしゃべりでもして時間を潰そうとそういうことなんだろう。

週明けの朝3時起床。やることなさすぎて夜明けが待ち遠しい。こんなポジティブな気持ちの月曜日は滅多にないことだ。早々に身支度とスリ対策を整えジャケットを羽織り冷たい空気でピリッと締まったまだ薄暗いがきれいに晴れた朝の通りを足取り軽く駅へ向かった。そしてRER B線の大船方面のオルセー・ヴィラ行きに乗り込み仕事に出かけた。

 

ル・ブルジェ航空宇宙博物館

https://www.museeairespace.fr/en

所在地(Google Map)

https://goo.gl/maps/ZGomiJKejMoszuodA

 

Velib (パリのシェア自転車)

https://www.velib-metropole.fr/en_GB

 

ルート(モンパルナス~エッフェル塔シャンゼリゼ~北駅)

https://www.strava.com/routes/21668925

 

ロンドン・サイエンス・ミュージアムとロケット野郎バカ一代ブラウン博士 (151107)

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サイエンス・ミュージアム@ロンドン

1944年9月8日ナチスのV2ミサイルがロンドンを襲った。その日彼はこう言った『ロケットは完璧に動作したが、間違った惑星に着地した』。1928年ベルリンの展示会に出品されたロケットエンジンを前に、『皆さんが生きている間に、人間が月面で仕事をする様子を目にすることが出来るでしょう』と詰めかけた大勢を前にしてそう言った。1932年宇宙旅行協会員だった当時学生で若干20歳のブラウン博士はアルバイトのタクシー運転手での軍の高官との邂逅から、ロケットの開発資金を求めてドイツ陸軍兵器局へでの仕事を得た。1942年10月3日ロケットは人類初の宇宙空間へ到達した人工物となった。

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ロケット野郎バカ一代・ブラウン博士、ナチだろうがケネディだろうが俺の生涯の夢のためには誰とでも手を組むぜ

V2は自律航行型弾道ミサイルナチスの超ハイテク兵器だった。しかし、その開発には湯水のように資金を費やし、米国の原子爆弾開発計画マンハッタンプロジェクトと同様の約2.5兆円が使われた。積載量1,000kgで射程距離320kmのそのミサイルは科学的には非常に優れたものであったが、戦略的にはほぼ意味がないものでありナチスの劣勢を覆すことはできなかった。一方対日戦に使用されたマンハッタンプロジェクトの成果物である原子爆弾は約5トンの重量があるがB29によりテニアン島から2,400kmの距離を運搬、投下された。戦争とは外交の一形態である。それぞれのプロジェクトが成し遂げた政治的効果はその後の国際政治史に複雑に絡み合った。

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宇宙開発史の金字塔V2ロケット。この地ロンドンを散々脅かした

結局彼がナチスのもとで取り組んだプロジェクトは時代を先取りしすぎたのだ。結局ロケット技術は、核兵器の優れた運搬手段として大陸間弾道弾の米ソ間での開発競争や、月への有人飛行計画として昇華していく。

ドイツの敗戦が濃厚になる頃、ブラウン博士は開発資料とサンプルをまとめ米国への亡命を図った。米国ではその経歴から白眼視された。ナチの科学者であり、そしてその裏切り者であると。倒産寸前の企業の開発部長が部下とともにライバル企業に転籍するようなものだ。それでもロケット開発への情熱を持ち続け1969年7月20日、彼が開発指揮したサターンVロケットにより人類を月に送り込んだ。

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アポロ計画用J2エンジン

14歳の時に出会った本に感銘を受け、宇宙旅行に憧れ続け、時には戦争に非協力的だとゲシュタポに拘束されながらも43年間諦めずについに夢を成し遂げた稀代のロケット野郎バカ一代、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士の傑作を含め質の高い収蔵品が展示されているロンドンのサイエンス・ミュージアムを訪れた。

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ロケット野郎どものバイブル、「惑星空間へのロケット」byオーベルト1923年

産業革命の国らしく入り口は、やはり蒸気機関を集めたエネルギー・ホールから始まる。そしてその奥には宇宙開発コーナーだ。さらに自動車や機械や放送機器などの現代に至る技術史の展示。ボクの嗜好にピッタリの内容であっという間に時間が過ぎてしまった。一人でぶらりと博物館を訪れて興味の赴くままじっくりとそのコレクションを鑑賞する。なかなか贅沢な時間の過ごし方だ。

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回転式蒸気エンジン1797年英国の英雄ワット作

僕がちびっこの頃、夏休みの宿題で図書室から借りてきた当時人気の本、学研のひみつシリーズ。確かロケットのひみつというのがあった。夏の満月を見上げながら思った。僕が生まれる前にすでに月に人類は到達していた。一番エライ奴は、それをやってみようと着想を得た奴だと思った。そのエライ奴が、宇宙開発を志すきっかけとなる一冊の本から、その集大成となる月面着陸船までが収蔵されていた。

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月面着陸船。結構しょぼい。50年前の技術だしな。

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キュレーターの質の高さが伺われる逸品。あえて日野コンテッサ1300。しかもありがちな品川や横浜ナンバーではなく、あえて多摩ナン。

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地球はここを中心としてグルグル回るのだ

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世界を変えたV2ロケット1944年



サイエンス・ミュージアム

www.sciencemuseum.org.uk 

所在地(Google Map)

所沢航空発祥記念館 (20160626)

1919年フランス陸軍のフォール大佐を招聘し黎明期の航空技術の教えを受けた所沢陸軍飛行学校の跡地に建つ所沢航空発祥記念館。開館より20数年の月日が流れいい感じに枯れた施設だ。僕のようなニワカはまったくおらずのんびりと思うがままに展示物を鑑賞できる。


たまたま開催されていたワークショップに参加した。厚紙でブーメランを作った。お姉さん曰く『ブーメランもプロペラも原理はおんなじですよ。難しいことはわかんないけど。』という肩の力の抜けた優しい感じが好印象だ。冷静に考えるとコパアメリカの対合衆国戦でメッシがキメた神業フリーキックが曲がるのも、バカでかいエアバスA380が宙に舞い上がるのも一緒な理論だ。

 

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詳しいパネル解説がオタクの好奇心をみたす

 

開館時期が古いのもあるのだろうが安易にマルチメディアに頼らず実機や模型中心の展示に加え丁寧で質の高いパネル解説はなかなか見ごたえがあり、訪れる価値のある博物館といえよう。ただ併設の大型映像館での上映展示はなぜか航空業界とはまったくカンケーねー、「深海の巨大モンスター『ダイオウイカ』」。企画担当者もネタが尽きたのだろうか。これだけはいただけない。

 

質は高いがコンパクトで滞在時間はゆっくり回って1〜1.5時間。多摩湖CRもしくは入間川CRと組み合わせて休憩兼ねてのコース設定がおススメだ。

 

 

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ウェスタン・エアエクスプレス社の路線図(1929年)

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ちびっこ達の大人気コンテンツ、フライトシミュ

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三菱重工業謹製、火星エンジン(1938~1945)。空冷複列星型14気筒。1530~1850HP。一式陸上攻撃機に搭載されていたものと推定される

 

ルート

https://www.strava.com/routes/21558715

 

所沢航空発祥記念館

https://tam-web.jsf.or.jp

所在地(Google Map)

https://goo.gl/maps/WvuU53zhNEmyZnif7